元小学校教員のもっと生きやすく・楽しくなるんじゃないかブログ

小学校教員病休→休職→退職。幼い2児の育児中。誰にでもその人固有の良さがある。それを輝かせて、よりよい人生を歩んでいきましょう。

自己肯定感を高めるために、どうしたらいいの?

こんばんは。kazです。

 

今朝の投稿で書いた

自己肯定感の低さが、私の人生の進みを阻んでいるという話から、

自己肯定感を高めるためにどうしたらいいか、

他のことをしながらも、どこかで漠然と考えていました。

読者さんからもそこが難しいという声をいただきました。

そして、一つ突破口が見つかったような気がしたので、共有します。

 

 

まず、私は、うつになり病休をとって、

人生で一番自己肯定感が低い時期を経験しました。

「自分なんていない方がいい」「いなくなるためには・・・」

そんなことを考える毎日でした。

それが、読書やカウンセリングやコンサルなどによって、

世界や自分を多角的に見るようになり、

何もできないと思っていた自分に光が当たったように感じました。

「私、できる子かもしれない」w

それから、おそらく4か月くらいで、落ち込むということがなくなり、

大人になってから一番自信に満ち溢れる時期に入りました。

(→自己肯定感ではなく自信が向上) 

 

そこで情報発信などで他者へ私の考えを渡す活動を始めます。

しかし、自信はあるけれど、過剰なのか、世の中を理解しきれていないのか、

私の価値観を押し付ける時期となりました。

自分も相手も違和感があり、進まない停滞期です。

またここで、コンサルやセッションを通して、人生すべてを振り返ることになりました。

今までの成功も失敗も全部あるがまま受け止めて、

(受け止めると、成功も失敗もない、単なる事実になります)

全ては今の私が在るための通過点であり、何が欠けても自分じゃなくなる、

そんな感覚を得ました。

自分の生まれてから36年間をひと繋ぎにして、またスッキリ。

 何も包み隠さず、自分を表現できるようになり、

また、失敗を恐れずトライできるようになり、

実はこの時人生で一番きてほしくない系のデカい事件があったのですが、

それも人生の学びに変えられ、むしろネタにしちゃうくらい、

人生が本当に本当に生きやすくなり、自他ともに認める変貌を遂げました。

(→自己肯定感が上がり始める) 

 

これで、やーっと情報発信に専念できる、と思った矢先、

「私を見て!認めて!」という

承認欲求が残っていた、という現実がやってきたのです。

あんなにスッキリ全部出し切ったと思ったのに、

小粒といったらそうなのですが、

根強い詰まりが発見されました。

 

うーん、どうしたもんだろう?

またゆっくり見つめてみようかと思っていました…

 

参加しているオンラインコミュニティで、

ある課題に対しての私なりの答えを書き込みました。

まあ時間がなかったというのもありますが、あまりいい答えが浮かばなかった。

他の人の深い考えに触れて、私の考えがとても稚拙なことに気づく。

 

あれ?私ってもしかして浅い人?

深く考えることが得意だと思っていたけれど、

全然深くないぞ。

今までの自分の「深いな~」と感じていたことも、

よく考えるとそんなに深くないかも…

 

!!(←閃き)

私の母親は、すぐに答えを言いたがる人。

子どもの頃のことは覚えていないけど、

孫への接し方を見ていて、

「一般的な正しさ」と「母親の価値観における正しさ」だけを伝える。

私もそう育てられたんだろうなぁとは何となく思っていた。

自分で答えを導くという経験をしてこなかった。

すべて「一般常識」と「母親の常識」で世界が成り立っていた。

それが全てではない、と大人になってから、

おそらく社会人になってから徐々に気づき始めた…

 

!!(←閃き)

私は「深く考えられる人」ではない!

むしろ「浅い考えしかできない人」なんだ!

でも元々「深く考えることが好き」「研究家タイプ」

なのに、答えをすぐに与えられる環境(学校も含めて)にしかいなくて、

「深く考えたい!」という果たせなかった欲求を持ったまま大人になった。

そして今、退職して時間もできて、自分の事も世界の事も深く考えられる環境を与えられ、それを存分に楽しんでいる。

今まで深められなかった分、ちょっと深まると「深い!」って感動して、

いろんなことの共通点が見えて、どんどん知識を繋げていきたくて、

子どもの頃の欲求を満たしたいから、子どものように夢中になって、

子どものように食いついて、聞いて聞いてって振り撒いて、

でもまだまだ深く掘る練習中で、うまくいかなくて、へこんで…

 

そうかー、こういうことだったのね。

まだ自己理解も浅かった。

勘違いしていたんだ。

・深く考えるのが 得意 なんじゃなくて、 好き だった

 (これから得意になるかも)

・深く考えるのが好きなだけで、まだまだ浅い人だった

 (これから深くなれるさ)

・なんだか大人ぶってわかっているふりしてたけど、今は「子どものように」がむしゃらにやればいいんだ

 (ぶらなくても、自然とわかっている人になる)

 

勘違いしたままでいると、

 「私は深く考えられるはずの人だから、深められない私はダメ」

 「大人なんだから、大人の振る舞いができない私はダメ」

無意識に「私はダメ」の方程式を作ってしまい、

これが自己肯定感を低くする要因となってしまうのだと思います。

 

浅い自分でも、子どもの自分でも、

どんな自分でも、もうとことん許してしまおう!

不思議とそんな気分になります。

これが自己肯定感じゃないですかね?

 

 

 

ということは、

自己肯定感を高めるためには、

本当の自分を知ること、自己理解を深めること、 

そして、本当の自分を知ることを怖がらないこと、

なんだと思います。

 

はじめの方に書いた、

人生すべてをひと繋ぎにする、ということもお忘れなく。

これも人生上向かせるためには、必須です。

 

私も、はじめのころは、今まで築いてきた自分が崩れていくようで、

怖かったです。

でも、不思議です。

ゾクゾクっとはするものの、その後が、もう楽なことがわかっているから、

遠慮なく脱がせていただいてます。w

 

子どものように(イメージは4歳くらい)振舞えばいいなんて、

ものすごく楽なんですけど。w

「私、できる子かも」っていうのも、全然アリですね!!

高いバナナを食べている話から、自己肯定感、ビジネスの話に発展。

おはようございます。kazです。

 

我が家は1本100円以上するバナナを食べています。

なんのこっちゃ。w

食にこだわりがあるのは、これまでの投稿でわかると思いますが、

これもこだわりです。

バナナでも私のポリシーを貫きたい。

 

バナナの話から始まりますが、

自己肯定感の話、ビジネスの話に繋ぐ展開で書いていきますね。

 

 

バナナって結構安く手に入りますよね。

一房5本で100円とか、昔は買っていました。

安い物には理由があるのは当然で、

環境や労働者のことよりも価格優先にしているから。

農薬などで大量生産、労働者や付近の環境はボロボロ。

消費者が安いものをを求めるからそうなるのだけど、

結局消費する私たちも害を被っていることになる。

でも気づかない。

だからその負のループが続いている、ということですよね。

これって、だれにとっていいんだろう?

 

一方、1本100円超えのバナナは、

生産者の方が、手をかけて心を込めて作っている、

笑顔で働いているのが見えるのです。

 農薬が最小限で安全だから高い、というだけじゃなくて、

なぜそういう生産方法を採用するのかを考えれば、

 少なくとも安いバナナよりも消費者を想えるだろうし、

自分たちのことも大切にできる。

私達も安全なバナナを手にすることができるし、

生産側の大変さを知って、買うことで応援することができる。

結果的に、生産者にとっても消費者にとっても、よい循環が生まれる。

バナナだけじゃなくて、お互いの幸せも流通していると思っています。

 

バナナの選び方ひとつで、幸せになれるんです。

 

 

なんか、胡散臭いw

 

バナナの選び方からもう少し深い学びがあったので、もう少しお付き合いを。

ビジネスの学び。

 

売り手の心は商品に乗っているということです。

そして買い手にはそれが見えてしまう。

こういうこと言うとよくないかもしれませんが、

賢い買い手には見えてしまう。

 

ちなみに、

安いものでいいという買い手は、それなりの結果しか得られません。

安いバナナを選ぶ人は、農薬びっしりのバナナを身体に入れるし、

他の果物の野菜も同じものを選ぶでしょう?

トマトだけは最高級を買っているという人もいるかもしれないけど。w

食べ物だけじゃなく、着るものだって、住む家だって、

付き合う人だって、行く場所だって、、、

だから、その安いもの、負が含まれたものの中でしか生きられない。

ということは、安いお給料しか入ってこない、ってことになるんですよね。

 

買い手側じゃなくて、売り手側の話がしたかったので、

話を戻しますね。

心を込めて、時間をかけて、相手が本当に喜ぶように考えて、

最高の商品を作って、売りたいと思っています。

どこかで妥協して諦めてしまったら、それなりの商品にしかなりません。

そもそも、人を幸せにしたいから商品を作るんです。

 

で、私はブログを読んでもらえるとわかるのですが、

これまでの様々な経験から、自己肯定感が低くて、

教員時代の病休に入ったあたりが一番酷い時期で、

そこからいろいろ勉強して自信を取り戻して、

退職してから人生が上向いてきました。

負の経験を生かして、人の役に立つ情報を発信していきたいと

思うようになりました。

そこそこいいことが言えるようになってきて、

読者さんからの反応ももらえるようになってきて、

いい調子だと思っていたのですが、

ここにきて自己肯定感の低さが私の進みを阻んでいることに気がつきました。

 

それは、「私を見て!認めて!」です。

 

「こんなにいいこと言っている私、すごいでしょ?」

が発信している情報に乗ってしまっている。

つまり、「あなたのために」と発信しているつもりが、

「私のために」発信していたんです。

ひえ~~おっそろしい~~(←我が家で最近はやっているのび太ネタw)

それに気づいた時には、恐怖でゾワゾワっとしましたが、

気づいてよかった。本当に。

賢い買い手には見えてしまう。

たぶん隠そうとすればするほど見えてしまう。

じゃあどうすればいいの・・・

単純明快、自己肯定感を上げればいい。

何を書いても何を言っても「私を認めて!」が出ない状態まで。

単純だけど難しい、でもやるしかないですね。

知識やスキルを磨くことより、意識をフラットにすることの方が重要だとわかりました。

自分を大切にすることが、自分の商品を磨くことにもなるんですね。

 

 

ここにきて、まだこの課題が残っていたとは、自分でも驚きました。

自信と自己肯定感は似ていて非なるものなんですね。

これについても、またまとめたいと思います。

 

 

高いバナナを食べている話から、自己肯定感、ビジネスの話まで、

お付き合いありがとうございました。

「好きなことを制限なくやるシリーズ」古民家改修はじめましたが・・・不純な動機が顕在化。

こんばんは。kazです。

 

以前にも投稿しましたが、

「好きなことを、制限なくやる」を実行している毎日です。

こうやって書くと、なんかダラダラしていそうな、

家事や育児を放り出して自分のことだけしていそうな、

そんなふうに見えそうですね。

でも人生の先の先で「好きなことをしている状態」を想像してみると、

暴飲暴食、お金遣い荒い、育児放棄、ゴミ屋敷、だったら・・・

好きなことをやっていると言えないですよね。

あくまで、持続可能です。

人生ずーーーっと、好きなことをするために、

健康第一だし(基本玄米菜食・朝ヨガ)、

部屋片づけた方が楽しい気持ち増すし、

自分で淹れたコーヒーが安くて美味しいからカフェに行かなくなったし(お金を本当に使わなくなった)、

子どもたちが伸び伸び遊んで笑っている顔が好きなことだし、

そういうことです。w

 

 

で、最近始めたのが、大好きだった祖母の家を改装しようと動き始めました。

元々不動産屋さんに売りに出していたため、ちょうど始めたこのタイミングで買い手がついたと連絡が。

さあ、どうする、本気で考えないと、ということで夫婦で話し合っていました。

 

やりたい?やりたくない?

負担はどうなる?

周りへの影響は?

どのくらい時間がかかる?

子どもは誰が見る?

 

いろんな点で話しましたが、なかなか結論が出ず。

 

で、コミュニティで話題にあがったのですが

  実現は「動機」によって結果が変わる。

  愛・快からの動機か、不安・恐怖からの動機か。

 

そもそも改装の動機は?と考えました。

 

はじめは、私の「好きなことを制限なくやる」というテーマがあったので、

なんか面白そう!やってみよう!でした。

あとは、夫が家や家具をDIYするのが好きということで。

だから愛・快からの動機もあります。

でも、「やりたいことを実行する」が一番の目的だとしたら、何でもいいんです。

ハワイに行く、だって何でも。

この動機は強くないです。

 

じゃあ、人の手に渡るのが惜しいということはない?

築100年、改築されたところはあっても、

まだまだ当時のまま残っているところもたくさんあります。

片付けをしながらそれを感じていたからこそ、

余計に手放したくないという気持ちは強くなります。

これは恐怖からの動機。

でも、築100年の古民家なら探せばある。

あの家での思い出もこうやって思い出すことはできるし、

愛着はもちろんあるけど、私の動機は恐怖からだったんだと理解しました。

 

恐怖からの動機だとすると、いつかエネルギーが枯渇します。

やらなければよかった、やりたくないのにやっている、そんな状況になるかもしれない。

愛からの心から本当に好きという動機だと、エネルギーは満ちます。

大好きなものに関わっていられて、幸せが続く。

 

今回は手放す方向になりそうだ。

 

 

 

待てよ、私の心から好きなことは何だ?

学びを得たときの「繋がった!」という感覚が快感なんだ。

好きなことを制限なくやる、のも新しい学びがあるから。

この改修で学ぶことは山ほどある。

何も知識はないし、一から自分たちでやるということ。

そして母、祖母、祖父、曾祖母たちが暮らした家、

その繋がりを感じながら作業すること。

ハワイじゃできない、誰かの古民家じゃできない、

ここでは何にも代え難い最高の学びができる!と思ったら、

体を稲妻が走った感じがしました。(この「繋がった!」が大好き)

これは完全に愛・快からの動機。強い強い思い。

 

今私がやるしかないんだな。

そしてここでの多くの学びをシェアしていこう。

おばあちゃんの家をエネルギーに変えて繋いでいこう。

そんな決意に変わっていました。

最高の学びができると思ったら、一気にワクワクが体に流れました。

(母に相談しながらなので、決定ではないですが)

 

愛なのか恐怖なのか、そして何にエネルギーが湧くのか、

迷ったときの判断材料として、心に留めておきたいと思いました。

 

研究大好き、学び大好き、

自分の「好き」を知っているって、最強ですね。

 

自分の問いに自分で答える回。なぜ私はレスミートなのか?

こんにちは。kazです。

 

今日は、自分の問いに、自分で答えたいと思います。笑

ちょっと考えをまとめたくて。

 

 

問:私がレスミートをするのはなぜ?

 

答:それは、アヒムサを実践したいから。


まず言葉の説明からしないといけないですよね。

失礼しました。

 

「レスミート」

レス=less=より少ない

ミート=meat=お肉

なので、

レスミート=お肉を減らした食生活  ということです。

 

レスミート生活を始めて3年くらい経ちます。

今では、可能な限りヴィーガンです。

ヴィーガン=動物性をとらない、身につけない))

それまでは、食べるのが大好き、お肉も大好きな人でした。

仕事をがんばった週末には夫と焼肉を食べに行っていました。

 

そんな私がなぜレスミートになったのか。

きっかけは、ヨガでした。

いろいろなヨガがある中で、私が出会ったのは伝統的なヨーガ。

その基礎にあるのが「アヒムサ」です。

 

「アヒムサ」

ヒムサ=傷つける

ア=~ない

なので、

アヒムサ=自他を傷つけない  ということです。

 

その基本姿勢があるために、ヨガの実践者はベジタリアンであるというお話を聞きました。

新しい世界が私の中に入ってきた感覚でした。

今まで与えられたもの、周りにあるものを当然のように食していましたが、

それは動物を傷つけているということ。

もちろん命をいただいているという知識はありましたが、

それと自分の行為とが結びついていませんでした。

それから、ベジタリアンの人と食事をするようになったり、セミナーにいったりして、

今出回っているお肉というものは、工業的に生産されているという事実を知りました。

何となく、牛さんが広い牧草地で飼育されているようなイメージを持っていましたが、

そんなことは全然なくて、

牛さんも豚さんも鶏さんも、過酷な環境で飼育されているのでした。

動物の権利(アニマルライツ)もなにもあったものじゃない。

人間の欲望のために、飼育環境はどんどん悪化して、

急激に成長するような注射を打たれたり、

鶏の羽毛をなくして、足が6本になるような品種改良されたり、

一生をB5サイズほどのケージで過ごして卵を産み続けたり、

それを、何も知らずに食べている自分がもう情けなくて・・・

 

私がお肉を選択することで、それに一票を投じていることになる。

私はそんなことを望んでいない。

これ以上動物たちを傷つけたくない。

それから、お肉を選択することをやめました。

 

(でも、お肉を食べることを全て否定する気持ちはありません。

 伝統的な文化だったり、ジビエとか、自然に近い形で行われていること等

 尊重しています。あくまで工業型。)

 

レスミートを続けていくうちに、

傷つけているのは動物だけではない、ということもわかってきました。

環境破壊や気候変動にも、工業型の畜産は大きなインパクトがあるのです。

生産量が現在の半分になれば、気候変動を食い止められるという

レポートがあります。

よかったら、参考までに。↓

https://www.greenpeace.org/japan/sustainable/story/2019/06/18/9049/

 

前にも書いたと思いますが、

自分の選択の先に、どんな影響があるのか、

食事も育児も買い物も、あらゆることがそうなんですが、

自分の行動に責任を持ちたいと思っています。

だから、私の敵は、無知とか無自覚なんですよね。

知らないところで、悪影響を及ぼしていることがある・・・

人生そんなことの連続でした。

でも結局その痛手を負うのは、自分なんですけど。

 

話を戻して、

食べることが習慣になっていたのと、家族がいるのとで、

なかなか進まない時期もありました。

成長期に動物性たんぱく質をとらなくても大丈夫か?

野菜だけで美味しい、楽しい食卓になるのか?

工夫して、仲間に助けてもらって、

そして何より家族への愛と、家族からの愛のおかげで、

不安なく、今は植物性が当たり前、楽しくレスミートしています。

 

楽しく、と書きましたが、

アヒムサは、他を傷つけない よりも 自分を傷つけない を上に置いています。

まずは、自分が楽しくないと続けてはいけないと思います。

自分を苦しめてまで、家族を苦しめてまで、それは私の信念とは違います。

だから、絶対に!ではなく、ゆるーくやっています。

どうしてもお肉を食べたい気持ちになって、

今お肉食べたらどうなるんだろうって試したくなったというか、

それで、一人で唐揚げ定食を食べに行ったことがあります。

一口、二口、美味しかったですよ。

でも、体が・・・重たい・・・・3日くらい笑

以前は当たり前に、この重たい体で仕事していたんだなーと思うと、こわ。

動物性って、体に負担が大きいんだなというのが、よくよくわかって、

重たかったけど、気づきをもらえたので、食べてよかったです。

あとは、子どもはお肉大好き、ヨーグルト大好き。

それもOK!

私の気持ちは伝えていますが、あとは彼らの選択に任せます。

大きくなり、真実を知った上で、自分で選択してもらいます。

 

教員だった頃も感じていました。

いくら教えても子どもは動かないんです。

教えるんじゃなくて、子どもの「やりたい」を引き出すんだって。

だから、何を言ったがじゃなくて、

何をどのようにやっているか、その背中を見せることの方が重要なんです。

そして、自然な成り行きで「レスミートしてみたい」って思ってもらえるように、

楽しんで活動したり発信したりしていきたいんです。

 

始めることも、続けることも、

結局は 信念 なんですよね。どのような生き方がしたいか。

それは、本当に人それぞれで、誰かが決められるものじゃない。

ある人にとっては、苦痛でも、ある人にとっては快感ってこともあるし。

自分の信じるものを、淡々と続けていくしかないんですよね。

 

もちろん今も葛藤しています、特に子どもの食べるものには。

でも楽しいから、よしとします。

自分と他のいいバランスを見つけて、レスミート生活を続けていきたいです。

 

 

最後が、べたな感想文みたいになりましたが、

自分としては、めっちゃ深いところを引き出せた感じがして、快感でしたー。

 

ブログへの反響を掲載してみました!

こんにちは。kazです。

 

最近ブログの投稿に、けっこう反響があって、

それによって、私の考えも深まったので、それを投稿しようと思います。

 

私は今、とあるオンラインサロンに属していまして、

ここがめちゃくちゃ面白い場所なんですけど、

話すと長くなるからそこは割愛させていただいて、

そこでもブログアップを報告していて、いくつか反応をいただきました。

 

まず、元教員で、うちと同じくらいのお子さんを育てている方から。

育児についてにもすごく共感してくれました。

 

ーーー(以下本文)ーーー

 

ブログ読みました!
私も元教員です。
一年半後に小学生になる娘、2歳半の息子、もうじき3ヶ月になる次男がいます。
ラインではまた後日返信しますといい結局できずじまいでした。ごめんなさい。
いや、本当に感じていることが同じで書いてあることに共感できすぎてしまいます。特に一番上の娘への気持ち大きいですよね。娘の発言、行動、全てが私を矯正するための布石なんではないかと思っています。育てにくさの極み!なんでこうも上手くいかないかと悩みまくった時期ありました。でも今思うと私が型にはめこもうとしていただけなんですよね。まだまだ娘の意思の尊重できない時もありますが、ブログ読ませてもらって、私もぐっとこらえて(こらえなくてもやりたいようにやらせられる母になりたい!なってみせる)彼女を羽ばたかせてやりたいと再度決意しました!スマホについてもまったく同じことを考えていました!時間をきっちり決めて、子供達といるときは緊急の電話やメール以外触らない!こう思っていてもついついということばかりでしたが、今日から必ず!!
頑張りますね!!励まされました。
私もブログ発信までこぎつけられるよう進めていきますね♪
返信は不要です!!ブログフォローさせてもらいます。

 

ーーー(本文ここまで)ーーー

 

ーーー(以下私の返信)ーーー

 

ブログ読んでいただき、ありがとうございます。
 
共感していただき、嬉しいです!
元教員!?
話が盛り上がりそうで、ワクワクしますね~
しかも長女ちゃん、長男くんの年齢がかぶってますね!
 
私ね、ブログではわかったようなことを書いていますが、
昨日も大声を張り上げて、娘に「怖かったよ…」って
言わせてしまったんです。
めちゃくちゃ後悔、でも自分を抑えて苦しみたくもないし、
本当に、毎日せめぎ合っています。
でも、娘によって気づかされ、私が成長することで、
自分の苦しみも、娘の苦しみも確実に解放されていると感じています。
 
さらにね、私は母から、そして母は祖母から、
代々受け継がれた苦しみ(と言っていいのか?)を背負っていて、
私の知る限りでは4代目にして、やっと成仏させてあげられるんじゃないかと、
そんな素晴らしいことを私は経験できて、幸せすら感じています。
希望しかありません。
 
今できる最善をする、っていうか、もう私たちはしているから、
恐れずに前に進んでいきたいと思っています。(言い聞かせています!)
 
こんなことを語れる仲間に出会えて幸せです!
ありがとうございます!
またいつでもご連絡くださいね。
 
ーーー(返信ここまで)ーーー
 
このあともやりとりをしていますが、
この方も、母娘の世代連鎖、成仏についても同じ考えのようで、
「女の子が生まれたのには意味がある、連鎖を断ち切るために生まれてきた」
とおっしゃっていて、なるほど~
新たな気づきをたくさんもらえました。
 
 
 
前回の「学校教育」についても、興味を持ってくださる方がいて、
その方は心理学専門の方で、私もいろいろ教えていただき救ってもらっている立場です。
 
ーーー(以下コメント抜粋)ーーー
 
ブログめっちゃおもろいですね!
この分野ボクも好きです!いろんな方向から考えられるから興味深いんですよねー。
昔テレビでみたドキュメンタリー番組みたいなので、学校教育に疑問を持ち実験的に学校に行かずに大人になった人の特集をやっていましたが、結論やっぱり学校はあった方がいいと言ってました。というのも読み書きができないとビジネスにならないし、計算できないと会社を運営すらできない。
社会を勉強しないと情勢がわからないと言ってました。学校が問題というよりは日本の教育システムが洗脳型になってみんな同じ行動をさせる事が問題なんじゃないかなとボクは感じてました。
 
ーーー(抜粋ここまで)ーーー
 
ーーー(以下私のコメント)ーーー
 
ドキュメンタリー番組の陰謀かと思ってしまうのは、ひねくれた私だけでしょうか…社会システムがもう変わってきて、日本で読み書きできない人いないだろうし、教科書じゃなくてネットでこそ社会の真実が流れてると思うんですけどね。
同じ行動させているのも、まあ意味があったのだと思いますが、今は足枷になっていますよね。
でも家では教えきれないことがあるから、そこは学校にお願いしたい!
あぁ、思いが溢れてしまいます。
 
ーーー(コメントここまで)ーーー
 
やはり、学校教育に物申したい私、なんですね。
でももし今学校がなくなってしまったら、それこそ混乱です。
「当たり前」を「本当に必要?」って疑える目を、
子どもにも大人にもつけてもらいたい。
だって、そうじゃなきゃ、世の中良くなっていかないから。
現状に甘んじている暇はないんです。
着々と変わっていますよ、世の中は。
その変化を見て、自分で考えて、判断して、行動しないと。
 
ちょうど1年前に病休に入りました。
当時まだまだ何もわかっていなかった私、
1年後にまさかこんなことを言って、動き出しているなんて。
 
前にどこかで書いたと思いますが・・・う〇こブログだ!笑
リスクをとることの重要性。
リスクをとることで、様々なものを手に入れてきました。
だから、それはリスクじゃないんですよね。
チャンスなんですね。
チャンスをじゃんじゃんものにしていきましょう!
 
なんだ?話がぐちゃぐちゃですけど、
これが私の思いです!

学校教育のことをつらつら。

こんにちは。kazです。

 

今日は毛色を変えて、「学校教育」について書いてみようと思います。

やはり10年以上教員をやってきたので、気になる分野です。

そして、1年半後には娘が小学生になる年齢です。

 

自分の生き方や働き方、人生についてをひたすら考えた私は、

今学校でやっていることにどれだけ無駄があるのかがわかります。

全部とは言いません。

いい出会いもあるし、、、

これ以上思いつかないんですが笑。

 

我が家は、今の教育システムなら学校に行ってもねぇ、

他の選択肢はないかねぇ、と考えています。

例外的に、素晴らしい取り組みをしている学校はあるので、

そこにピンポイントで引っ越すという手もありますが、

学校ありきで引っ越すというのは私たちの中にはないです。

 

学校ってそもそも何のためにあるんだろう?

行くのが当たり前と思っていると、そういうことに盲目的になってしまいます。

私もそうでした。

だって、ずっとそんなこと考えずに教員やっていましたから。

でも、学校って、

子どもたちが未来を生きていく力をつけるためにあるって

わかって、

未来を生きていく力をつけられていないじゃんって

気づいたんです。

 

未来を生きていく力って?

計算を繰り返しやること?漢字を覚えること?100点をとること?

ルールを守ること?集団生活ができるようになること?

 

いや、

己の良さを知っていること!

なんども失敗して、それでも挑戦すること!

人と違う自分を表現できること!

ルールに疑いをもつこと!

 

全部は書ききれないけど、

必要ではないことに時間を割いていて、

本当に必要なことに着手できていない。

 

書いていて気づいた。

計算をすることも、漢字を覚えることも、100点をとることも、

悪いことではない。ルール順守も集団活動も。

そういう中で、己の良さや挑戦すること、ルールを疑うことを学ぶことができる!

でも、でも、目的を見失ってしまうと、悪いことになるんだ。

今の学校は、目的を見失っている。

 

学校は、というか、

学校側も、通わせる側も、社会全体で、

目的を見失っている。

 

 

なんで目的を見失っているの?

忙しいから。

学校も親も社会全体で、忙しい。

目の前のやることに一生懸命、そうみんな一生懸命。

やること多すぎるよね。

一呼吸おいても、休んだと思ったら、またやることが湧いてくるんだもん。

学校行くのが当たり前、宿題するのも当たり前、

消費税上がったってそれも受け入れてしまうし、

お上を信用しているのかと言えば違うような気もするけど、

悪いようにはしないだろうと、半ば諦め、何かあったら責任とってよねって。

なんだか脱線しましたが、

忙しいのを、そろそろやめましょうよ。

悪いようにはしないかもしれないけど、

ちゃんと自分の頭で考えたら、良いようにできるんですよ。

もちろんそれには責任は伴いますが。

どっちをとる?悪くないか、良いか。

私は、良いを取る。

だから、自分の頭で、学校に行くことをどうするか考えます。

もちろん娘と一緒に。

 

結局「教育」から「生き方」みたいな話になりましたが、

子どもたちに本当に伝えなきゃいけないのは、「生き方」ですよね。

いや、「生き方を」教えるのでも伝えるのでもなく、一緒に育んでいく。

その環境を整えていかなくてはならない。

画一的に教科を教えて、集団行動をとらせて、っていうのには、

やはり違和感があります。

子どもたちが将来、自分で道を切り開いていく力をつけていきたい。

自分で判断して、挑戦して、責任をとれる大人になってほしい。

 

私は簡単だと思うんです。

もう教えるということをやめればいい。

いつ何時に行ってもいい、何勉強してもいい、しなくてもいい。

子どもって、大人も、やろうと思ったら勉強なんて自らしますしね。

漢字なんか教えなくても、自然に覚えていくしね。

 

そう考えたら、学校でやっていることって、無駄だなーって。

でもわかりますよ、わかります、

格差とかね、収拾つかない、とかね。

でもそういうことで、子どもの貴重な時間を奪ってもいいのかな?

フリースクールみたいなのがたくさんできればいいのかな?

 

知人が言っていました。

世の中変わってきているから、学校が変わるのも時間の問題だよ、って。

確かに、そうなるとは思うけれど、あと1年半で・・・

私たちの選択に、こうご期待!(誰もしてないか!)

ブログは資産、資産になんてならない、けどとにかくやれ、という話。

こんばんは。kazです。

 

今日はブログをどう捉えたらいいかで悩んでいたけど、

とにかくやれ、という結論に至ったという話です。

 

好きなことをして人生を豊かにしたいと思っています。

それは楽をするということではなくて、

好きなことに汗をかいて生きていくということです。

(↑この言葉、今気に入っています)

場所も時間も縛られないで、やりたいことをやることで生活を成り立たせたい。

家族が自分がいつまでも笑顔でいられるように、

そんな生き方考え方が広がって、世の中の人みんな力抜いていけるように。

 

でも、そんなことやっていて、お金どうやって稼ぐの?

そうなんです、資本主義社会ですから、お金がないと生きていけない。

なので、情報発信でそこを補っていけたらと思っています。

で、とりあえず無料ブログしてるんですけど、

そろそろWordpressに移行かしら・・・

でも定まらない私だから、定まってからがいいよね・・・

なんて、この辺なあなあになっています。

 

悩みをもう少し具体的にすると、

「ブログは資産と言うけど、私の考えって流動的だから資産と言えるものが書けない」

ということ。

私の情報発信の師は、「ここに悩んだらここを読め」というふうに、

悩める人の教科書的なものになっています。資産です。

でも私が得意なことって、物事を深く探究すること。

根本はきっと変わらないのだけど、日々考えは流れていく。

言いたいことはその日によって違う。

どうやって資産にしていくんだろう?ってモヤモヤしてました。

 

そんなことをお風呂で考えていたら、一筋の光が・・・

  そもそもブログにこだわらなくてもいい

思考が好き、議論が好きなんだから、そういう仲間を集めてコミュニティを作るという方法もあるだろうし、

なんか思いつかないけど、他の方法もありそうだなーと。

アイディアをお持ちでしたら教えていただけたら嬉しいです。

 

また、夫に悩みをつぶやいてみたら、

今日たまたま「家のリノベーション失敗」を検索して見たブログ、

そこからいろんな記事(リノベ以外の海外での話とか、移民の話とか)を読んでいったら、その人に会ってみたいと思うくらい興味が湧いた、

確かに資産だねって言っていて、

教科書的な何かでなくて、日々思ったことを綴るだけでも、

その人なりが伝わるし、興味持ってもらえるし、

もしかしたら教えられることもあるかもしれないし、

一緒にビジネスコラボもあるかもしれないし(笑、妄想癖)・・・

 

そんなことを考えていたら、

悩んで止まっているより、とにかくやれ、進め、なんだなって思いました。

 

今考えていること、今やっていること、

これが私であり、私にしかできないこと、価値なのかなって。

 

行動しないことが最も無意味なことで、

失敗でも中途半端でも、とにかくやること、なんだなと思いました。

 

はい、今日もしっかりやりました。