元小学校教員の世の中もっと良くなるんじゃないかブログ

小学校教員病休→休職→退職。幼い2児の育児中。未来を背負う子どもたちが、無限大の可能性を持って社会に出ていけますように。

思いやりが乏しい私に、神のお告げが。

こんにちは。kazです。

 

ここ最近、

自分に思いやりがない!ということについて、考えていました。

 

始めは、3か月になる赤ちゃんを育てている身内とのこと。

何でも話せる仲のいい間柄だと思っています。

妊娠中から、育児の先輩である私にいろいろと相談してくれていました。

正直、当時の私は、育児に自信なんてなく、むしろ劣等感ばかりでしたが、

知っていること、わかることは答えていました。

 

殻を破って、育児や教育の本質(と思っていること)が見えてから、

また相談を受けました。

俄然やる気の私、相談きたきたーーーって、待ってました―――って。笑

 

LINEで超長文、私の考えをだーーーっと述べました。

とってもいい人なので、それに対してもまた質問してくれて、

また考えをだーーーーーーっと述べました。

3往復くらいして、

 

おや?私、〇〇さんの知りたいことに全然答えてないじゃん。

 

って気づきました。

ただのお節介です。押し売りです。

 

冷静になって、

えっと、聞きたかったことはこれだよね?笑

って返しました。

相手を傷つけてはいないと思うけど、まあ引かれたかな。

厄介な人に引っかかったと思われたかな。

 

そして、次も、

同じように育児に関して悩んでいる方に、

私の考えをだーーーーーーーーーーっと書き込みました。

これが正しいんです!ってな感じで。

しかも、これは相手を傷つけてしまったような気もしています。

 

短期間によくもまあ同じような失敗をしました。

もしかしたら正しいことを言っているのかもしれないけど、

これじゃあいかんな、と私でもわかります。

わかるけど、できない・・・

 

相手が何を求めているのかを察知する力が足りていないのかな?

 

このことに関しては、心当たりがあります。

 

幼少期、私の気持ちを親に汲み取ってもらえなかったんだと思います。

今でもそうです。

母親に私の考えを話すと、受け止める、受け入れるということをされずに、

拒否か、無関心か、自分の主張が返ってきます。

 

育児書か何かからの知識ですが、

 

自分の気持ちを受け入れられることを経験しない子どもは、

自分の気持ちがわからない、

自分の気持ちがわからないということは、

人の気持ちもわからない

 

らしいです。

これが私の根っこにあるのかなーと思っています。

だから、他人の気持ちなんて推察できない!と開き直りたいところですが、

人間関係は重要なので、このままでは幸せには近づけません。

まずは、他人の気持ちにをわかってあげるのが苦手なんだな、と自覚して、

じゃあどうするか?

 

悶々としていたところ、

一つ、これが解決策かな?ということが天から降ってきました。

 

目の前の出来事に真摯に向き合いなさい

 

他人の気持ちがわからないから、そこをスルーして、

自分の考えに目が向いてしまう。

自分だったら、自分には、自分は今、、、

自分、自分、自分のオンパレード。

自分の価値観の中で、どんどん先読みして、突っ走って、相手は置き去り。

同じ目線になんて立てるはずがない。

相手を救済なんてできるはずがない。

 

つまり、自分の内側で話が進んでしまい、

目の前の一つのことに、真剣に向き合ってないということなのかと。

 

よく考えると、

我が子への対応も、先読みしすぎて、心は遠くにある感じ。

子どもに「見て見てー」って言われても、それを一緒に楽しむ余裕はいつもなく、

 

(ご飯食べさせ、お風呂に入れてて、あ、先に洗濯物たたんでおくか・・・) 

「いいの作ったね!」

 

みたいな感じです。酷い。

 

いつも何となく焦っているのも、

先読みしすぎて、今に集中できていないんでしょうかね。

育児していると、いつもワサワサ、先読みするのも仕方ないですが、

子どもはそういうことに敏感ですよね。

 

お母さんは、いつも受け止めてくれないんだな。

 

自己有用感が下がります。

それだけで済まず、

人の気持ちを理解してあげられない子になってしまうのです。

 

相談の話に戻ると、

自分の話ばかりするお節介おばさんに、次は相談しない、

こうなりますね。

真剣に打ち明けてくれたのに、真剣に向き合えていなかった。

人の役に立ちたいと思っていたのに、

真逆のことをしてしまいました。

 

ただ一つ、今の自分をポジティブに語るなら、

今までずーーっと自分の思いを受け止めてもらえず、

自分の思いを表現することができなくなり、

自分の思いに蓋をして生きてきた私、

今やっと本当の自分の気持ちに気づいてあげられるようになったので、

喜ばしいことでもあります。

 

でも、それを相手に押し付けたり、相手の思いを受け止めななかったりでは、

私がされてきたことと同じになってしまいます。

 

今後は、その辺のバランスをうまくとっていき、

いずれは、真に相手のために行動できる人へとシフトできるように、

日々精進していきます。

 

目の前の出来事に真摯に向き合う

 

実はこれを意識して昨日子どもと過ごしてみました。

いやー時間がかかる。笑

でも、悪くない。

イライラというより、何やってんのって笑える。

先々を考えないようにしたので、焦りがなく、

まあいいやって思えるから、気が楽。

 

今日のお母さんは怒ってないねぇ

 

と言われました。

何日続くかわかりませんが。

以前書いた、

できることをやって、できないことはやらない、

とも通ずるところがありますね。

なにもかもがうまくいかない日もあるのさ~

おはようございます。kazです。

 

大好きな曽我部恵一さんの歌を聴きながら。

「なにもかもがうまくいかない日の歌」

 

昨晩の寝かしつけがぜーんぜんダメでした!

子どもを傷つけまくって寝入りました。

何にもしてやれませんでした。

 

子どもも私もとても疲労していました。

疲れているし、眠いし。

我が子は眠い時にテンション高くなるか、ぐずるかで、

昨晩はちょっとしたことで、すぐにぐずぐずしました。

2人いると、お互いに感染し合うので、2人ともぐずぐず。

いや、3人ともぐずぐず・・・

 

それでも、寝るまでは何とかがんばろうと、

できるだけエネルギーを消費しないように、機嫌を保つように、

努力しました。

 

でも、上の子のちょっとした言動に腹が立ってしまいました。

それも、上の子が下の子のちょっとしたことに腹を立てていることに、腹が立った。

書いていて苦笑いです。

確か、足の上にちょっと座ってしまった、みたいなこと。

 

そこから、「そんな小さなことで」と思って上の子にイライラした態度。

いやー、書いていて本当に情けない。

私こそ「そんな小さなことで」イライラしていたんだ。

 

その後の「抱っこ―抱っこ―」に応えてやることはできませんでした。

お母さんも人間だから疲れて何もしてやれないときもあるんだって、

言い続けていました。

今考えると、何もしてやれない自分にもイライラしていました。

これじゃあ子どもが傷つく、どうにかしたい、でもどうにもできない・・・

育児って、本当に孤独です。逃げ場がない。

 

上の子が感じ取っただろうことは、

 

お母さんは、私を抱っこしてくれない、

私より〇〇(下の子)の方が好きなんだ、

私は愛されているんだろうか・・・

私がすぐに機嫌が悪くなるダメな子だからだ、

私が悪いんだ、

 

はっきり言葉にして感じているわけではないですが、

無意識的にこういう感情が生まれてしまうんです。

無意識だからこわいんです。

潜在意識に刷り込まれるっていうこと。

 

上の子の心の中をのぞいたわけじゃないから、あくまでも予想ですが、

こういう感情が根付くっていうことが、私自身実感としてあります。

 

寝入って、しばらくして目が覚め、子どもたちの寝顔を見て、

愛おしくて、そして、ごめんねって。

育児ではよくある光景ですよね。

 

だれにだって、うまくいかない日はある。

起こってしまったことを嘆いても仕方ないので、

受け止めて、次につなげていくしかない。

 

・・・とそう簡単にいかないのが育児だと思うんです。

3つ子の魂100まで、とか、乳幼児期の親のかかわり方が、とか

そういうことが知識としてあるし、実感としてもあるので、

割り切れないというのも正直なところです。

 

まあそれでも、3歳までと考えたって、

1000日以上あるうちの1日の出来事、

何百万、何千万回以上あるコミュニケーションのうちの数回、

そう思うと、刷り込まれたことも変換されるんじゃないか?

 

そんなところくらしかポジティブに捉えられないけれど、

新しい今日は、いいコミュニケーションがとれるようにしよう。

それには、心のゆとりです。

私にはこれが一番重要。

ゆとりを持ってお迎えに行けるよう、一日の過ごし方を考えてみます。

 

・・・と書き終わったところで、娘が起きてきました。

ほっぺにチューされました。

私と父親を見て嬉しそうにしています。

かわいい。大好き。守りたい。

そう、ここが原点ですよね!

人のせいにしてばかりいた私の話。

おはようございます。kazです。

 

私は、何でも人のせいにする人でした。

 

特に、自分にとって都合の悪い出来事に関して。

 

「私が嫌な思いをするのは、あなたが悪い!」

「あの人が〇〇と言ったから。」

「何でこんなことするの?私が酷い目にあったじゃない!」

「組織の仕組みがなっていない!」

「社会が悪い!」

 

と、こんなふうに。

もう何でも人のせい。

 

夫との間に起ったことは、夫のせい。

仕事で何かあったら、同僚のせい、管理職のせい、保護者のせい、学校の仕組みのせい。

育児に関しては、子どものせい、実母のせい、社会のせい。

 

これは防衛本能なんだと思います。

自分が危ないから、身を守るために相手を攻撃する。

そうすることでしか、ストレス社会を生き抜いていけないとも思う。

 

でも、きっと心の中では、自分が(も)悪いって思っていたんです。

相手を責めることで、逆に、

自分が悪い、自分はダメだ、という思いを強化してしまいました。

 

ある本に書いてありました。

アファメーションといって、「自分は成功する」と自分に言い聞かせることで、

行動や結果を良い方向にもっていくという方法がありますよね。

でもそれは、「自分は失敗者だ」と言い聞かせているようなものだ、と。

私には、それが、ものすごくよくわかりました。

 

学校に行けなくなって、人生行き詰まったのも、

誰かのせいにしすぎて、

本当に見なきゃいけないものを見ていなかったからなんだと思います。

誰かを責めて、その場では自分を守ることができても、

心の中では「自分が悪い」が積み重なってしまったんでしょうね。

自己肯定感はどんどん低くなりました。

 

本当は何が原因で、何をどう変えれば改善されるのか、

その時その場できちんと向き合っていればなーと、

今さらながら思います。

 

そう、だから、

これからは全てのことに責任を持って行動したいと思っているのです。

 

全て、と言ってしまうと、また完璧主義が出てきたと、

私のメンターたちに言われてしまうので、

そこは気をつけていきたいところですが。

 

私のメンターの1人である、藤井先生もよくおっしゃっています。

『日本で人のせいにするクレーマーが増えたのは、

 1995年の「製造物責任法(PL法)」が制定されたあたりから。』

モンスターペアレントが現れ始めたのも、このころからだそうです。

PL法とは、製品の欠陥によって何か問題が生じたときは、損害賠償を求められるというもの。

当たり前の権利ではあるのですが、

何かあったらお上のせい、ちょっとしたことでも訴えればいい

みたいなちょっと歪んだ考え方が浸透してしまったということです。

 

ちなみに、藤井先生、

本日、フジテレビのお昼の番組にコメンテーターとして出演されます。

お会いする予定でしたが、急遽決まったそうで、お忙しい方です。

www.kyoushi-tensyoku.com

 

私の話に戻します。

全てのことに責任を持ちたい、

言葉だけ見ると、自分を締め付けるような感じがしますが、

何でもかんでも自分のせいにする、ということではありません。

 

できることはやる、

できないことはやらない、

 

これだけです。

 

自分の言動に責任を持つということは、

嘘をつかないということでもあります。

今までは、

できないかもしれないことを、がんばって何とかしてきた。

つまり、自分にも相手にも嘘をついてきたのと同じ。

悪気は全然ないし、むしろ世のため人のためにがんばってきたんですけどね。

 

でも、

ずーっと無理をしてきたんです。

その無理が、誰かを責めたり、自分を悪いと思ったり、

結局誰かを傷つけることになってしまった。

 

できることをやって、できることはやらない主義になったら、

仕事も、夫婦生活も、育児も、人間関係も、

スッキリ進むようになりました。

 無理がなくなったんです。

 

全てのことに責任を、と考えると、

自分がやっていること一つ一つが、周りにどんな影響を及ぼしているかを

考えるようになりました。

 

我が子へかける言葉一つで、

同じマンションの住人への挨拶で、

コーヒーをいただいたカフェの店員さんへの一言で、

ゴミの出し方で、

どの食材を買うかで、

どの商品を選ぶかで、

何を口にするかで、

選挙で一票を投じることで、

ブログで発信することで、

 

こんなに考えてもなお、

誰かを何かを傷つけていることになっていることに

もどかしさを感じます。

温暖化に歯止めがかからないこととか、

子どもが虐待や貧困で苦しんでいることとか、

原発問題とか、

種の絶滅とか、

課題は山のようにありますが、

でも、できることをやる、それしか方法はないんだと思います。

 

自分さえよければいいという個人主義では、

もう明るい未来は期待できないと思っています。

 

小さな日々の行動が、大きな違いを生み出す!

 

って、さっきLINEで届きました。

以前登場したAさんからなんですけど。

こんな仲間に出会えて本当に幸せです。

 

できることを一つ一つ、積み重ねていきたいと思います。

 

新築マンションを買っても、結婚しても、痩せても、幸せになれなかった私

おはようございます。kazです。

 

金曜の夜のこと。

お風呂から父と子2人の

幸せなら手をたたこう♪」

が聞こえてきて、幸せな気持ちになったのをきっかけに、

なんでこんなに幸せな気持ちを持てるようになったんだろう、

と考えていました。

 

悲しいかな、私ずーっと満たされていなかったんです。

その瞬間、瞬間では、幸せ〜とか思うけれど、

また何かあると、どうして私だけこんな不幸なんだろう…って、

結局元に戻ってしまう。

だから、また幸せを求めて行動する。

一時的に幸せを感じ、また元に戻る、の繰り返し。

 

ベースにあるのが、「私は幸せじゃない」という状態で、

それを何かで埋め合わせて、「幸せ」な状態を作っていた、

という感じですかね。

 

そして、

学校に行けなくなって、病休に入って、休職して、退職して、

この字面だけ見ると、幸せとは程遠いような半年間を経て、

本当の幸せを実感するようになった。

心から満たされている感じ。

 

今度は逆パターンで、

 

何か問題が起こると、一時的に落ち込んだり、イライラしたりするけれど、

それも通過点と捉えることができて、

ポジティブに受け止め、幸せ状態に戻る。

 

つまり、ベースが「私は幸せである」という状態なんですね。

 

有名人の著書を読む等して、

苦しみを経験した人こそ新しいものを生み出せる、

それを経験していない人とは違う世界が見られる、

なんてことを、漠然とですが思っていました。

だから、苦しみを乗り越えた私も、

何と言うか新しいステージに行けたのかな、

それで、今まで感じられなかった満たされ感を得られるようになったのかなーと。

 

徹底的な、これがあったから変われた!

というものがなく、

ぼやーっと、

わかるようなわからないような感じでした。

 

それが、昨日、徹底的なこれ!が見えました。

私が幸せを感じられるようになったのは、

 

真実に近づいたから

 

なんだと思います。

 

抽象的すぎて、何のことやらさっぱりですよね。

 

もう少し落とし込んで言うと、

 

無知を知って、そして手放して

真実に近づいたから。

 

わかりづらくてすみません。

まず、無知とは、

本当に大事なことは何か、がわかっていなかったということです。

 

新築万書を買っても、新車を買っても、

素敵な服を持っていても、美味しいごはんが食べられても、

海外旅行に行けても、安定した職があっても、

貯金が増えても、

仕事で認められても、

家をきれいにスッキリさせても、

植物を育てても、

脱毛しても、痩せても

結婚しても、出産しても、

幸せになれませんでした。

 

これらは、幸せになるために全部実践したことです。

もちろん一時的に幸せな気分に浸れますが、長く続かなかったのです。

これらは私の人生において大事なことではなかったんですね。

 

学校に行けなくなったのをきっかけに、

病休、休職の決断に迫られ、

仕事で認められていた私を手放しました。

復職するか、退職するかで悩み、

安定した職、経済的余裕を手放しました。

 

仕事、育児で手一杯だった私は、

自分が倒れてしまう危機状態だったので、

何を優先すべきかを決めなければいけなかったんです。

自分にとって大事なことは何か、

手放さなきゃいけないものは何か、

考えに考え抜きました。

 

手放すのは、辛いですよ。

だって、今まで幸せになれると信じて築いてきたものですから。

 

でも、この過程があって、本当に大事なものがわかりました。

 

私自身と家族です。

 

これを守ること、これを愛で包むこと、

それが私のやることです。

 

じゃあそのために具体的に何をすればいいか、

と考えると、いろんなことがとてもシンプルになりました。

 

子どもへの対応、

食べるもの、料理するもの、

買うもの、捨てるもの、断るもの、

何を仕事にするか、何にエネルギーを注ぐか、

今何をするべきか、

 

そこから、

私たち家族が幸せであるための未来をつくっていかなきゃいけない、

未来を託す子どもたちを取り巻く環境が重要だな、

教育問題に取り組まなきゃ、

子どもや孫世代のために、地球環境をよくしていなきゃいけない、

環境問題なんとかしなきゃな、

 

みたいな感じで、今の自分の行動が 決まってきました。

 

仕事においても生活においても、

自分や家族を幸せにするための選択ができるようになり、

「私は幸せである」状態が根付いたのです。

 

何を大事に生きていけばいいか、

これを知らずに生きてきたんだと思います。

これが私の言っている、無知を知る、です。

 

無知によってかなり振り回されて生きてきたんだなーと、思いました。

大事じゃないものに一生懸命になって、

そりゃあ神経すり減ります。

 

そしてまだ無知に振り回されている感はあります。

まだ気づいていない無知、

手放せていないものはたくさんあるということ。

 

最後に、

自分で読み返して、あれ?と思ったのですが、

結婚しても出産しても、幸せになれなかった、

というところ、

結婚したから幸せになれる、

出産したから幸せになれる、

と思っていたんですね。

でも結婚も出産も一時的なものではなく、

通過点であり、それをどう営んでいくかに目を向けなくてはいけなかった、

それを知らなかった、ということです。

 

自分の本当に望んでいるものと全てが一致したら、

ものすごい満ち満ちた世界が待っているんだろうなー。

未来は捨てたもんじゃない、

というか、未来は明るい、

そう信じられます。

 

我が子のわがまま対処:行為否定か人格否定か

こんばんは。kazです。

 

今日は我が子のわがままに、上手く対処できたので共有します。

 

上手く対処ということなんですが、

これまでは、できるだけわがままやイヤイヤ言われないように、

細心の注意を払うことを心がけていました。

そうすることで、こちらのイライラが軽減するというメリットがあります。

でも、どれだけ事前準備しても、網の目をくぐるように、

私のイライラスイッチを押しに来るのです。

 

今、ダンスに興味があるため、ダンス教室とチアダンス教室の体験に申し込んでいました。

 

「今週末だね、ダンス。今週がダンスで、来週がチアダンスだったな、確か」

 

と言ったら、

 

「えーー、もうぅ!チアが先がいい!なんでーー!?」

 

と急に機嫌が悪くなる我が子。

 

そして、カッチーンときた私。

 

 

でも、この後の発言が、上手くいったのです。

 

「え?お母さん、〇〇が喜ぶと思って申し込んだんだけどな、

 お母さんも一生懸命〇〇のことを考えてやってるのに、

 その言い方はないんじゃない?」

 

別に優しくいったわけでもなく、嫌だなと思ったことを率直に言葉にしました。

 

今までだったら、

 

「え?お母さん、〇〇のためにやっているのに、

 なんでそんな言い方するの?信じられない。

 なんでいつもそうわがまま言うの?」

 

この微妙な違いわかりますかね?

 

注目したいのは、

 

上:行為を否定しているか、

下:その子自身を否定しているか、

 

の違いです。

 

よく言いますよね、

叱る時は、その行為について問題にして、人格否定をしてはいけないって。

 

行為の良し悪しだったら、受け入れやすいし反省もできる。

でも、人格の良し悪しって・・・考えただけで胸が苦しくなります。

自分はわがままな子、自分はダメな子、お母さんを苦しめる子、って

自己肯定感がめちゃくちゃ下がります。

 

よくよく考えると、こんなに酷いことだとわかるんだけど、

イライラしていると、つい言ってしまうんです。

どうしたものか・・・

 

今回は本当にたまたま上の言葉が出てきてくれました。

 

結果としては、1分後くらいには引っ付いてきて、

「もうーわかったよー、ダンスはキャンセルして、チアを先にする」

って自分から言ってきました。

あ、ダンスキャンセルね、そういう選択かと思ったのですが。笑

自分で折り合いをつけたみたいです。

 

普段だったら、お互いに結構引きずって、いやーな空気になります。

こんなにあっさり終わったのは珍しいです。

 

深く考えたわけでもなく、自然に出てきた言葉なのに、

子どもを傷つけることなく、でも言いたいこともちゃんと伝えられて、

後味悪くないし、最高の気分です!

 

もちろん、自分の納得解を導いた子どもの成長も大きいと思います。

ただ、私が積み重ねてきた成果なのかなーとも思うのです。

満足です。

 

 

 

 

 

インプットと統合とアウトプットの話。

こんにちは。kazです。

 

昨日、家にスマホを忘れました。

電車に乗った後に気づいたので諦め、こんな日を楽しもうと思いました。

結論としては、楽しむ程のことはなく、あった方がよかった。

なので、今日は何度も携帯しているか確認しました。笑

 

電車に乗ると、ほとんどの人がスマホいじってます。

もう当たり前の光景になりました。

読書している人もちらほら。

あとはイヤホンで音楽か何か聴いている人。

たぶん、じゃなくて絶対、私もSNS見ていただろうな、と思います。

 

そんな中、スマホも本も持ってこなかった私がしたのは、考え事。

気づいたら、考え事をしていました。それしかやることがなかった…

普通ならやり過ごす、生活の中でちょっと気になっていたことをじっくり考えていました。

でも、それってすごくすごく重要だなと思いました。

スマホや本やイヤホンからって、インプットばかり。

どんどん情報が流れてくるから、立ち止まることがない。

 

インプットしていると、知った気、わかった気になりますが、

実は何もわかっていないってことありませんか?

そして、すぐに忘れる。

その繰り返し。

メモを取るようにしたこともありましたが、そのメモを見返さない。

身体に落とし込むのはなかなか至難の業です。

 

自分が休職に追い込まれ、とにかく苦しかった時期に救われたのは、

インプットでした。特に本。

自分の知らない世界が開けました。

自分ってすごい可能性があるんじゃないか!って思いました。

今まで引き出されなくて錆び切っていた自分の思いや考えが引っぱり出されて、

自分がどんどんバージョンアップしていく感じです。

自分にも何かできそうだと思わせてくれました。

 

私には次のステップがありました。

それは、自分と統合することです。

いろんなやり方や生き方、考え方、スキルがあるけれど、

今の自分には何が必要で、何が必要でないか、

何ができて何ができないのか、立ち止まって考えました。

 

私はたまたまカウンセリングを受けたり、

今後教職を続けるべきか悩んだりする時期だったので、

自然と自分との統合を図りました。

このステップによって、自分が一番大事にしたいこと、自分の強みを発掘できました。

 

ここからが最も重要だと思います。

自分の軸がわかったら、それをアウトプットすることです。

これが私を一番成長させました。

大事なこと、強みがわかっても、それを外に出さなかったら何にもなりません。

 

アウトプットによって、

頭の中にはいい感じで考えが構築されていたけれど、

言語したら、ぐちゃぐちゃなのがわかりました。

 

考えを整理する。

もっとちゃんと伝わるように根拠を明確にする。

  ↓

考えも表現もブラッシュアップされる。

  ↓

アウトプットしたことが自分とかけ離れるということがなくなる。

違和感があるならどこかズレがあるということだから、

それがなくなるまで続ける。

  ↓

考えと言葉と行動が一致する=ブレがない

 

というところまで構築できたと思います。

 

ここまで確固たるものが出来上がると、

仕事も生活も育児も人間関係も、すべてが繋がって、

怖いものがなくなるというか、

悩むことがなくなるというか、

 

例えば、何を食べるとか、何を買うかとかも迷いがないし、

やりたことには飛び込むし、

やりたくないことにはNOと言える、

 

とにかく楽~~なんですよね。

 

 

これが、当たり前にできていてほしかったなー、自分、と思います。

30過ぎたおばさんが苦しみながらやるんじゃなくて、笑

子どものうちから、積み重ねて、価値観を構築しておきたかった。

そのためには、教育ってほんっとに大事だと思います。

大事なところこそ、子どもに任せちゃいましょう。

少し悩みながらも、子どもは自分なりに考えて、成長していくのですから・・・

 

偉そうなこと書きましたが、正直、まだブレそうになることはあります。

なので、アウトプットで強化していきます!

先生のキャパってけっこうすごい!と書きたかったけれど、環境問題の話が長くなりました。

こんにちは。kazです。

 

今日はグリーンピース・ジャパンのボランティア活動をしてきました。

グリーンピース、知っていますか?

環境問題に取り組むNGO団体です。世界各国に拠点があります。

日本は先進国の中では規模がかなり小さいらしいです。

政府や企業からの資金援助を受けず、寄付金だけで活動しているのです。

だから、ボランティアは貴重な存在です。

知れば知るほど関わらざるを得ない。

 

私は、環境に配慮して生活している方です。

洗剤とか食材とか衣服とかゴミとか水とか、かなり意識していると思います。

それでも、まだ、自分が何気なくやっている買っている使っていることで、

環境を破壊しているということが、たくさんあって…

やっぱり自身が子どもを持ち、教育についても真剣に考えるようになり、

真に子どもたちのために、と考えると、地球環境をより良いものにしたいんです。

教育や育児の環境を整えることもそうですが、

地球環境がどんどん悪化してしまっては、何にもなりません。

子どもたちの未来にとって、地球は絶対に必要なものです。

 

でも、環境を破壊しているって言っても、なんか実感がないですよね。

原発は怖いと思っても、実際に身体に変化がないから、実感がない。

いろいろやっているけれど、私は原発には結構うといんです。

 

でも、実はもう身近なところで、影響が出始めているということがわかり、

積極的に参加しようと思いました。

 

それが、です。

 

塩って海からとりますよね。

環境問題に詳しくなくても、海に自然じゃないものが流れ込んでいるのは知っていますよね。

海洋環境で特に注目されているのは、プラスチックです。

分解されずに海に漂い、熱や波の影響でマイクロプラスチックになります。

それが、世界各国の塩ブランドのサンプル9割から発見されたのです。

もしかしたらもう日本の食卓にも上がっているかもしれない。

 

今ちょっと調べただけでも、

2015年東京湾で釣りあげたカタクチイワシからたくさんのプラスチック片が…

2018年人体からも見つかった…とか

もう、知らないとか関係ないとか言ってられない状態なんだと危機感を持ちました。

 

日本って?なのか、世界でもなのかわからないけれど、

都合の悪い真実を隠しますよね。

学校とか企業とか政府とか、組織が大きくなればなるほど。

自分に都合の悪いことを隠す、気持ちはわかるけど、

でも市民の国民の健康や命がかかっていても隠すのか!!??

 

それにNO!というためには、行動を起こすしかないんです。

だから、私は、できることをやります。やり続けます。

これを読んで、少しでも関心を持ってくれることを願って。

 

 

今日はこれを書こうとしたのではなかった・・・

今日書きたかったこと

それは、

オフィスボランティア(電話対応・英訳・資料整理)をしたのですが、

「電話対応上手ーー」

「安心して任せられる!」

「パーフェクト!」

と言ってもらえてうれしかった!ということでした。笑

 

別のお仕事、保育士養成学校運営のお手伝いをしているのですが、

そこでも、

「仕事できるね」

「どこでもやっていけるよ!」

「ほめない上司だけど、kazさんのことすごくほめていたよ」

と言ってもらえているのです。

 

学校現場で、ある意味堅い仕事をしていたのも、

学級経営して全体のバランスを見ながら仕事をしていたのも、

元々の熱心さとか誠実さとか責任感の強さとかを持って仕事をしていたのも、

ここにきて発揮できていると思えました。

10年以上がんばってきてよかったなーと思えた瞬間です。

 

だから、先生ってけっこう使える人材なんです!

先生や学校が起こした事件とかで、先生の地位が下がっているような気がしますが、

私が出会った先生たちって、かなりレベル高い人が多かったんです。

賢さもそうですが、センスがあるというか、かっこいいなっていう人。

なのに、なんで学校って伸び悩んでいるんだろう…

 

教員採用や教員評価、それから研修とか、あらゆる仕組みの問題があると思います。

あと問題だと感じるのは校長の経営力

 

グリーンピースの話に戻って、

15分のミニ全体研修みたいなものがあったのですが、

それぞれの担当はあるけれど、全員が同じベクトルを持って参加していると感じました。

職員室では、それが足りない、というか、ないというか、

みんな違う方を向いている→これが一番しっくりくる。

 

そうしてしまう環境というか仕組みが問題なんじゃないかなーと思うのです。

でも、先生たち、みんな必死にがんばっています。

子どもたちのために一生懸命仕事をしています。

なんなのでしょう。もう、ループ状態。

 

先生の魅力とか実力とかが発揮できる学校現場を作りたい!

子どもたちのために!