元小学校教員のもっと生きやすく・楽しくなるんじゃないかブログ

小学校教員病休→休職→退職。幼い2児の育児中。誰にでもその人固有の良さがある。それを輝かせて、よりよい人生を歩んでいきましょう。

愛犬の話から、地球環境の話まで。世界はつながっている。

こんにちは。kazです。

 

今日は、もうすぐ6歳になる愛犬のしつけ教室に行ってきました。

そう、犬を飼っています。めちゃくちゃ可愛い癒し系のMix犬です。

 

子どもばかりに手がかかり、あまりかまってやれていないので、

月に1,2度は犬が主役の日をつくろうと思って行き始めました。

 

今日一番の収穫は、

今の時点でしつけが行き届き、信頼関係がしっかりつくれていることは、

シニアになって、目が見えない、耳が聞こえなくなった時に、

ハンドサインやタッチサインが通じたり、痛みを伴う治療も落ち着いて受けられたり、

犬の人生(犬生)を長い目で見て、その子の幸せのためになる

と教えてもらったことです。

 

それを聞いて、じーんときてしまいました。

 

アニマルウェルフェア(動物福祉)やアニマルライツ(動物の権利)という観点で、

数年前からお肉をほとんど食べない生活をしています。

勉強会やイベント参加、ボランティア活動などもしています。

 

子どもの頃から犬を飼っており、動物愛護の気持ちが強いから、

今このような考えをもっているのかな?

しつけ教室の先生のお話にも涙が出そうになったのは、そういうことなのかな?

と、帰りの車の中で、ぼんやり考えていました。

 

今まで私の琴線に触れるような出来事って何か共通点があるはず。

何か得られそうな予感!

犬と私だけの空間、よし、ここを掘り下げようと思い立ちました。

 

すると、突然、何かが降りてきました。

 

私は愛されたかった

生まれてきてよかったと思いたかった

 

どばーっと涙が溢れました。

 

そして、車の中で、号泣しながら、何度も何度も叫びました。

愛されたいだけなんだよーーーー

生まれてきてよかったんだーーーー

 

私の心の奥が震えるのは、

愛されたいのにそれがかなわない状況にある自分や相手を見たとき、

生まれてきてよかったと思えない状況にある自分や相手を見たとき、

なんだ、と納得しました。

 

毎日かまってもらえない、僕って生きている意味あるのかな?って思っているような愛犬、

ただただ愛されたいだけなのに、うまく表現できず、お母さんも忙しそうで、満ち足りていない我が子、

氷河が解けてエサも住処も奪われた餓死寸前のホッキョクグマ

親から虐待を受け、どこにも逃げ場がない子ども、

自分はダメだ、誰も幸せにできない、生きる価値もないと思っていた自分、

 

今までは、何をどうやっても、それらを解消してあげることができませんでした。

何もできないので、したくはないけれど、ずっと傷つけ続けていたのです。

 

でも、今は少しずつ解きほぐされてきています。

自分を愛することができ、家族を愛することができ、幸せを取り戻しました。

教育支援のお手伝いをすることで、虐待を受ける子どもたちに少し届いているような気がしています。

環境保護ボランティアを通して、ホッキョクグマの幸せにも少し近づいた気がします。

 

自分が変わることで、自分が行動することで、

誰かを幸せにすることができるんだと実感しています。

 

自分は家族と地域と社会と地球とつながっている、

このことに気づいて、私の人生は変わりました。

 

誰も傷つかない、誰もが幸せになれる世の中ってありますか?-あるんです!

こんにちは。kazです。

 

前回の投稿、半日くらい前ですが、

子どもたちの選択肢を奪わない社会の実現

を目指したいと書きました。

 

その社会を実現したいのはなぜか?

 

それは、

誰も傷つかない世の中にしたい

 からです。

 

そんな理想郷のような世の中、実現すると思いますか?

私は、できると思います。

だから目指しているのですが。

 

でも、10年、20年じゃあ実現しません。

50年、100年かかるのかな?

でも予想もつかない世の中だから、もしかしたら10年後には叶うかも?

 

とにかく、一人では無理、おそらく長いことかかるということを見越して、

子どもたちにそのバトンを渡したいと考えました。

子どもたちに誰も傷つかない世の中をつくってもらいたいのです。

 

そのためには、子どもたちにそんな素敵な世の中が実現するんだという夢をもってもらいたい。

今の子って現実主義というか、大人のような感覚を持っている子って多いと思います。

夢なんて描くだけ無駄、世の中そんなに甘くない、地に足をつけて、

大人がそういう背中を見せているっていうことなんでしょうけど。

 

現実を見ること、自分の身を守ることも大事ですが、

それでは何も変わりません。

それどころか、日本の世界の地球の様々な問題がどんどん悪化していきます。

それを食い止め、みんなが幸せになれる世の中をつくっていきたいのです。

 

 

夢を持ち、毎日ワクワクして、失敗を恐れず何でもチャレンジする、

そんな子どもたちだったら、なんかすごいことができそうな気がしませんか?

そういう可能性をがんがん伸ばしてあげられる教育を提供したいのです。

 

かくいう私、30余年、「どーせ私は」といって、自分の可能性を閉じていました。

でも休職をきっかけに、自分を愛し、自分の可能性を広げていきました。

私ってこんなに行動的だったの!?と自分が一番驚いています。

そして、自分を愛せたので、家族を心から愛せるようになりました。

家族の誰も傷つかない幸せの形を見つけました。

この実践に自信があります。

きっと誰にでも適応できるはず。

社会だって変えられるはず。

それが、誰も傷つかない世の中を実現できるはずだという根拠です。

 

30過ぎのおばちゃんが、自分を180度変えるってすごくないですか?笑

柔軟な子ども・若い世代だったら、すぐに変われて、すぐに輝けると思います!

そしたら、面白い世の中になると思うんだけどなーー。

 

だれもが幸せになれる方法は絶対にある!

 

私がやりたいこと!もう一度原点に立ち返って

こんにちは。kazです。

 

アクセス数を気にして、

どんなことを、どんなふうに書いたら☆がもらえるか気にして、

本当のことが書けていなかったことに気づいた今日この頃です。

 

そういう人の目を気にする自分を脱ぎ捨てたと思っていたけれど、

幼いころから染みついたもの、30数年育んできたものを捨てるのは、

本当に難しいものですね。

 

でも、ここで気づいたので、これからはまたブラッシュアップされたこと、

本当の自分の気持ちや考えに近づいたことを書けるはずです。

 

 

私がやりたいことは、

子どもたちの選択肢を奪わない社会の実現!

です。

 

そのために、子どもに関わる親や先生などの意識を変えること。

 

そのために、何ができるか・・・

それを今模索中です。

 

私の思いが届いた人、ぜひ語らいたいです。

コメントください。

 

教員退職したのに、なぜいまだ学校にこだわるのか(2)

こんにちは。kazです。

 

前回の記事の続きです。

親や学校によって、正解主義排他主義といった

いらない価値観、私たちの可能性を奪う価値観を植え付けられてしまうという話をしました。

 

どうすればいい?

 

大人が未来を見据えていればいいのです。

将来社会に出たときに必要な力をつけてあげればいいのです。

必要だと思ったら、とことんこだわって伝える。

いらないと思ったら、捨てる。

それだけ。

 

でも、 学校はどうしても正解主義や排他主義から逃れられない。

それには理由があります。

 

1.テストがあるからです。

やっぱり、かわいい子どもたちに、いい点数をとってもらいたい。

そして、親御さんにも喜んでもらいたい。

 

これは子どもたちを大切にしているからこその思いです。

 

でも、本質的ではない。

 

いい点数をとってもらうことも、親を喜ばせることも、

その瞬間のためでしかない。

先生が子どもたちに関われるのは、実際には1年だけ。

だから、その1年で結果を出そうとしてしまうのです。

 

また、点数はわかりやすいから、その点数=その子だと思わせてしまう。

100点がとれていれば、優れた子。

点数が低ければ、劣った子。

 

でも、5科目やそこらではその子を表すことなんてできません。

それなら、
・ユニークなアイディアを持っている

・折り合いの付け方がうまい

・他者の痛みが分かる

・感受性が豊か

・駅名を言わせたら誰もかなわない

・人の特徴をよくつかんで物まねができる

・年間行事の日付けを全部覚えている

・競争心が全くない

・弟の保育園の送り迎えをしている

 

後半雑になりましたが・・・

そういうその子だけが持っている特徴とか経験値っていうのを

大事にした教育、誰もが輝ける教育をするべきなんです!

 

正解はないし、だれも排除しない。

 

その子を丸ごと受け入れることによって、

その子が伸び伸びと自分を表現することができる。

それが未来を変える力になると思いませんか?

 

教員時代、通知表の所見欄に命をかけていました。

言いすぎました、時間をかなりかけていました。

点数では表せない、その子なりの良さを伝えたかったんだな、と思いました。

 

テストをなくせばいいと思いますが、

通知表や学校保管の成績簿など、複雑な面もあり、簡単ではないですね。

評価方法を見直すことは必要だと思います。

 

 

 

学校がどうしても正解主義や排他主義から逃れられない理由

2.忙しいからです。

担任は、

個性的な40人前後の子どもたちを一人で見ないといけないからです。

その人たちを乗せた船頭となり、行事や各教科の余剰時間のないタスクを背負って、

他のクラスや学年との調整を図り、時には保護者対応、部活動、その他事務作業、

なんてやってたら、

 

「静かに前向いて座っていなさい!」

「余計なことはしないで!」

 

という事態に陥ってしまうのです。

先生は、子どもたちを乗せた船を、なんとか1年後目的地へ到達できるよう必死なのです。

 

麹町中学校の工藤校長先生の言葉です。(学校の「当たり前」をやめた。より)

 

「学校に来る」こと自体は、社会の中でよりよく生きていけるようにするための一つの「手段」にすぎないということです。

 

学校に来ることは、目的ではないのです。

学校で勉強することは、目的ではないのです。

学校で友だちと仲良く集団生活することは、目的ではないのです。

宿題をすることは目的ではないのです。

運動会を成功させることは、目的ではないのです。

1年間無事に過ごすことは、目的ではないのです。

 

忙しさのために、教育の本当の目的を忘れてはいけない。

忙しいは言い訳でしかない。

確かに、忙しい状況にしている教育界の上層部には、文句を言いたいです。

でも、もう一度一人ひとりの先生が、子どもたちの未来を考えたならば、

きっと変わるはずです。

 

 

子どもはどう変わる?

 

私は休職中にこのことに気づき、結局学校で実践できないまま退職したので、

学校の子どもたちがどう変わるかは妄想でしか測れません。

 

ただ、我が子にこの未来視点で接するようになって、

我が子は変わりました。(今まで窮屈な思いをさせていたと思います。)

そのことによって自信が沸いて、自分がどんどん良くなりました。

それによって、夫への接し方も変わり、家族の幸せがぐぐっと大きくなりました。

そして、社会へもっと貢献したいと思うようになり、いろいろな活動を始めました。

好循環です。 

 

そのような実践をされている先生がいらっしゃったら、ご意見を伺いたいです。

 

教員退職したのに、なぜいまだ学校にこだわるのか(1)

こんにちは。kazです。

 

教員を退職して、幸せを感じられるようになって、

なぜ今だに学校にこだわるのか。

 

それは、

学校が変われば、子どもが変わり、

子どもが変われば、社会が変わり、未来が変わる。

学校によって、私たちの未来が良くも悪くもなるからです!

 

そもそもこの考えに行きついた発端は、

我が子に私のような苦しい思いをさせたくない、という思いからです。

仕事と育児で苦しく、がんばっているのにうまくいかず、

自分を責め、学校を責め、子どもを責め、夫を責め、親を責め、

私はだれも幸せにすることができないんだ、本当にどん底でした。

 

ありがたいことに、お休みをいただき、自分と向き合う時間を持つことができました。

私はなぜこんなに苦しくなったのか、原因を探りました。

というか、カウンセリングや読書によって、自分を客観的に眺める機会を得たのです。

私の苦しみは、私の中にある価値観によるものでした。

 

 

私が苦しかったのは学校のせい?

 

例えば、正解主義。

自分の中に理想の形(正解)があって、それにはまらないとダメ。

仕事でも育児でも、完璧を目指してしまいました。

一見いいことのようですが、結局独りよがりなんです。

誰も幸せにしていなかったし、自分も苦しかった。

 

それから、排他主義

年齢が上がるにつれて、

ほかの人と違ったら恥ずかしい、

自分がはじかれるくらいなら誰かをはじこう、

変な奴って思われないようにしよう、

いい人と思われていた方が得だから猫かぶっていよう、

最低ですけど、集団無視とかしていました。

 

約30年前、親や周りの大人、学校で学んだ結果、

こういう人になったのです。

 

気づきましたよね。

そう、これって今も変わっていないんです。

30年経って、時代は大きく変化しているのに、

教育や子育てって変わっていないんです!!!

 

私が受けた教育が30年前の時代に合ったものだったか、私はわかりませんが、

今の教育は、現代に合っていない!というのは明らかです。

 

1年先も想像できない世の中です。

今までのやり方が通用しないことが多々、多々あります。

どんどんアップデートしていかないといけない時代なんです。

もちろん、大切にすべき古き良き文化もありますが、

年長者よりも若い人に未来を託すべきだと、私は思います!

我が子だけでなく、すべての子どもがこの犠牲になるかもしれない・・・

ちんたらやっている場合ではない!!!

 

 

なぜ正解主義になってしまったのか。

 

私は親から「先回り教育」を受けていました。

ブロックをうまく組み立てられない、すると「ここにこれをこうやればできるよ」と正解を教えてくれました。

 

学校では「答えは一つ」だと教えられました。

勉強だけじゃなくて、例えば、けんかをしたとき、

「ごめんなさい」を言って、仲直りするのが正解なんだと。

 

正解を教えてもらえて、子どもとしては楽です。

でも、自分で考えるということをしなくなりました。

そして、どんどん自主性もなくなりました。

自分の人生ですら、人任せにしていました。

 

 

なぜ排他主義になってしまったのか。

 

小学校に入ると、黒板の方を向いて座って授業を受けるスタイルになります。

(きまりはないんですけど、そうせざるを得ない仕組みになっています)


まずこれに馴染まないといけない。

9割以上の子がなんとか座っていられます。

座れない子は「問題児」扱いされますよね。補助教員がつきます。税金で。

座れる、座れないが問題ではないです。

「座れない子は特別視される」

  ↓

「みんなと同じようにしていないといけない」とインプット

こういうことが、日常茶飯事なのです。

 

こうやって、「人と違うことはいけないことなんだ」と学びました。

空気ばかり読んで、とうとう自分の心を読むことができなくなりました。

 

 

 

じゃあどうしたらいいのか?というのを書こうと思ったのですが、

 長くなったので、また次に回します。

 

子どもたちのために、私たちの未来のために、学校が変わらなくてはと思っています。

 

休職そして退職後の今の心境を語りたい

 

こんにちは。kazです。

 

退職する前、約半年前ですが、病休そして休職していました。

 

先生だから間違っちゃいけない、

先生だからきちんとしていないといけない、

先生だからこうしなきゃいけない、

先生だからこうしてはいけない、

先生だから・・・・・・

 

勝手にそういう鎧をたくさん着重ねて、重すぎて倒れちゃいました。

自分じゃない何者かの人生を送っていました。

半年かかりましたが、重い鎧をやっとのことで下ろしました。

 

自分を語るということがなぜか苦しかった、

自分のことを話そうとすると目に涙が溜まる、

これは何なのだろうとずっと思っていましたが、

自分じゃない自分が自分を話そうとしていたから(ややこしい)なんですね。

 

今は、話すのが大好き、人と会うのが楽しい、やりたいと思ったら即行動、

本当に身軽に自分の人生を駆け抜けております!

 

別に誰からも強制されたわけじゃないけれど、

先生って少なからずこういう葛藤を持っていると思います。

先生の状況を良くしていきたい、というのも自分のミッションだと思っています。

 

私の体験から言えることは、

自分に戻る時間をできるだけ確保しましょう!

先生は日々緊張感をもって過ごしています。

 

寝る、食べる、テレビを見る、本を読む、安らげる人と話す、

本来の自分に戻れるスイッチみたいなものがあるといいですね。

(私は育児も重なり、それができなかったーーー)

 

先生に過剰に期待しないで、

みんなで子どもたちを育てているという気風になるといいな!

退職後、新たな気持ちでブログ再開

 こんにちは。kazです。

 

先月の31日をもって小学校教員を退職いたしました。

 

これまで「小学校教員休職中に考えたこと」としてブログを書いていましたが、

状況が変わりまして、ブログ名や名前など改めてブログを再開いたします。

 

信頼度を増すために実名での投稿を考えていたのですが、

関係者の方に心配や迷惑をかけることを懸念して、

とりあえず仮名でやります。

(見ている人は多くないので、何心配しているんだ?という感じですが…)

 

また、ブログタイトルも、自分のやりたいことや考えと一致させたタイトルを考えてしばらく迷っていましたが、

結局決まらず、それよりも発信することを優先して、再開しました。

なので、またタイトルも改めるかもしれません。

 

とりあえず、今の時点で、私が発信したいことは、

子どもを育てるということに関して、

方向性間違っているんじゃない?

こっちの方がいいんじゃない?

というようなこと。

長年小学校で働いていたので、学校教育に関して、

さらに、育児の経験から、家庭での子育てに関して、が多くなると思います。

 

また、私たちが迎える未来に関して、

このままじゃ危ないんじゃない?

こうやって考えた方がいいんじゃない?

というようなことも書きたいです。

現在、環境系と食育系の2つの団体のボランティアスタッフをしているので、

その関係のことが多くなると思います。

 

まとまりませんが、発信すること優先で!

今後ともよろしくお願いいたします!!