教員退職したのに、なぜいまだ学校にこだわるのか(1)
こんにちは。kazです。
教員を退職して、幸せを感じられるようになって、
なぜ今だに学校にこだわるのか。
それは、
学校が変われば、子どもが変わり、
子どもが変われば、社会が変わり、未来が変わる。
学校によって、私たちの未来が良くも悪くもなるからです!
そもそもこの考えに行きついた発端は、
我が子に私のような苦しい思いをさせたくない、という思いからです。
仕事と育児で苦しく、がんばっているのにうまくいかず、
自分を責め、学校を責め、子どもを責め、夫を責め、親を責め、
私はだれも幸せにすることができないんだ、本当にどん底でした。
ありがたいことに、お休みをいただき、自分と向き合う時間を持つことができました。
私はなぜこんなに苦しくなったのか、原因を探りました。
というか、カウンセリングや読書によって、自分を客観的に眺める機会を得たのです。
私の苦しみは、私の中にある価値観によるものでした。
私が苦しかったのは学校のせい?
例えば、正解主義。
自分の中に理想の形(正解)があって、それにはまらないとダメ。
仕事でも育児でも、完璧を目指してしまいました。
一見いいことのようですが、結局独りよがりなんです。
誰も幸せにしていなかったし、自分も苦しかった。
それから、排他主義。
年齢が上がるにつれて、
ほかの人と違ったら恥ずかしい、
自分がはじかれるくらいなら誰かをはじこう、
変な奴って思われないようにしよう、
いい人と思われていた方が得だから猫かぶっていよう、
最低ですけど、集団無視とかしていました。
約30年前、親や周りの大人、学校で学んだ結果、
こういう人になったのです。
気づきましたよね。
そう、これって今も変わっていないんです。
30年経って、時代は大きく変化しているのに、
教育や子育てって変わっていないんです!!!
私が受けた教育が30年前の時代に合ったものだったか、私はわかりませんが、
今の教育は、現代に合っていない!というのは明らかです。
1年先も想像できない世の中です。
今までのやり方が通用しないことが多々、多々あります。
どんどんアップデートしていかないといけない時代なんです。
もちろん、大切にすべき古き良き文化もありますが、
年長者よりも若い人に未来を託すべきだと、私は思います!
我が子だけでなく、すべての子どもがこの犠牲になるかもしれない・・・
ちんたらやっている場合ではない!!!
なぜ正解主義になってしまったのか。
私は親から「先回り教育」を受けていました。
ブロックをうまく組み立てられない、すると「ここにこれをこうやればできるよ」と正解を教えてくれました。
学校では「答えは一つ」だと教えられました。
勉強だけじゃなくて、例えば、けんかをしたとき、
「ごめんなさい」を言って、仲直りするのが正解なんだと。
正解を教えてもらえて、子どもとしては楽です。
でも、自分で考えるということをしなくなりました。
そして、どんどん自主性もなくなりました。
自分の人生ですら、人任せにしていました。
なぜ排他主義になってしまったのか。
小学校に入ると、黒板の方を向いて座って授業を受けるスタイルになります。
(きまりはないんですけど、そうせざるを得ない仕組みになっています)
まずこれに馴染まないといけない。
9割以上の子がなんとか座っていられます。
座れない子は「問題児」扱いされますよね。補助教員がつきます。税金で。
座れる、座れないが問題ではないです。
「座れない子は特別視される」
↓
「みんなと同じようにしていないといけない」とインプット
こういうことが、日常茶飯事なのです。
こうやって、「人と違うことはいけないことなんだ」と学びました。
空気ばかり読んで、とうとう自分の心を読むことができなくなりました。
じゃあどうしたらいいのか?というのを書こうと思ったのですが、
長くなったので、また次に回します。
子どもたちのために、私たちの未来のために、学校が変わらなくてはと思っています。