元小学校教員のもっと生きやすく・楽しくなるんじゃないかブログ

小学校教員病休→休職→退職。幼い2児の育児中。誰にでもその人固有の良さがある。それを輝かせて、よりよい人生を歩んでいきましょう。

道徳心はどうやって育てる?私が考える学校の理想の姿。

こんにちは。kazです。

 

私は小学校教員時代、道徳を専門にしていました。

専門と言っても、別に申請するわけでも宣言するわけでもないですが、

みんなそれぞれ、教科や各分野で得意なものを持っており、

それがいつしか、道徳なら〇〇先生に聞け、生徒指導なら△△先生だろ、

みたいな感じになります。

 

私はたまたま公開した道徳の授業が指導者の目に留まり、

そこから授業を頼まれるようになり、主任になり、指導者になり、みたいな形で

専門と言えるようになっていきました。

道徳の授業を考えるのであれば、何時間でもやっていられます。

とにかく、楽しくて面白くて、私の性に合っていたのでしょう。

 

先日、知人に、どうして道徳にはまったのか聞かれました。

なぜなのか、明白な答えは出ませんでした。

なのでそれからずっとそれを考えていました。

 

道徳にはの価値項目というのがあって、

例えば、正直とか、友情とか、命の大切さとか、

それらの中に特にこだわっていたものがあるというわけではない。

休職してから久しぶりにその項目を眺めてみたけれど、

どの項目を見ても、今でもワクワクする。

やっぱり好きなんだ。

 

授業をするよりも、授業を組み立てている時が楽しかった。

授業を組み立てる・・・

だいたい教材の話の流れは決まっていて、

例えば、

 仲良しの友だちとちょっとしたことでけんかしてしまった主人公、

 モヤモヤする気持ちを抱えていたところ、お母さんが何となく背中を押してくれ、

 最後は謝ることができた

みたいな感じで、

人間の弱さから始まり、葛藤を経て、覚醒する

というのが主流でした。

(もちろん全然違う題材もあるし、時代や教材会社によっても変わります。)

その人間らしさの勉強というのが、面白かったのかなと思いました。

 

ただ、当時はとにかく一生懸命で、ある意味盲目的に必死に授業をしていましたが、

今こうやって道徳教育について改めて考えてみると、

こんなの学校で教えるべきことじゃない

というのが正直なところです。

家庭と社会の中で育てるべきものです。

もとい、家庭と社会の中で育つものです。

親や周りの大人が、道徳的な行いをしていればいいのだと思います。

その背中を見て、子どもは勝手に学ぶんです。

 

道徳について研究していたので、私はそれなりにその部分を理解していました。

授業ですべてを教えるわけではなく、授業では心に種を蒔いておくくらいでいい、

いつか子どもたち自身がその花を咲かせればいい。

だから楽しく続けられたのかもしれません。

でも、道徳の教科化、そして道徳を評価する、という流れになっています。

 これじゃあますます先生がヒーヒー言って、教育力が落ちます。

 

そもそも、学校の役割ってなんだろう?

家庭やその地域で暮らしているだけではでは果たせないことをやってくれる場所。

学校でしかできないことをやらなければ。

それは、集団生活と様々な体験と専門分野に触れるってことでしょうか?

 

道徳で言えば、心の教育は家庭と地域が基本的に担う、

で、学校では、じゃあちょっとそこをみんなで話し合って深めてみようか、

みたいなスタンスがいいですよね。

 

算数の掛け算の宿題をAIに答えさせているのが問題だとかテレビで見ましたが、

そんなの全然問題じゃない、そんな宿題出す方が問題でしょって思いました。

塾行っている子もいれば、AI駆使できる子もいる、それでいいと思うんです。

それを、塾で習っているけれど学校のやり方でやれ、とか、電卓は使うな、とか、

私も平気でそんなこと言っていましたが、

パワハラ以外のなにものでもない・・・

 

音楽ではいろいろな楽器に触れることができるし、

図工ではのこぎりを使うことができる。

そういう家庭でできないことをたくさん体験できる素晴らしい場所なんです。

 

学校が変わらなきゃいけないですよね。

授業スタイルも学級スタイルも何もかも。

もう実施している学校もあると聞いていますが、小学校も教科担任制がいい。

私は絶対に道徳専科。

好きな教科だったら、少しの苦労も喜びになるんですよね。

好きでない教科の場合は、やっつけ仕事になってしまう。 

 

あとは、自主学習時間がたっぷりあるのがいい。

好きな教科・分野を好きなだけ深めていい。

繰り返し計算プリントとか、漢字書き取り練習だって、

一斉に宿題となると否だけど、本人がやりたければいいと思う。

なぜそれをやるのか目的があって、どんな学びがあったのか振り返りさえすれば、

立派な学習です。

 

好きなことやっていいって言ったら、子どもたち喜ぶんだろうなー。

そういう子どもがやりたいことを応援できる場にしたいですよね。

そして、その時間に先生も教材研究ができたら、最高ですよね。

 

退職してからも、こうやって理想の学校を妄想しています。

別に学校を作るつもりはありません。

ただの趣味です。

 

我が子からいろいろ教わりました。

子どもはこちらが言って教えたことで学ぶのではない、

親を見て、周りを見て、真似をして学ぶんだと。

そして、学びたいときは、環境さえ用意すれば、自分からガンガン学ぶんだと。

それに気づいてから、学校でやっていたことは無駄だったとは言いませんが、

的外れなことをしていたなと思うんです。

家庭の力、地域の力、学校の力が結束すればいいんです!

と結論は出ているんですけど、たぶんずっと昔から言われ続けてきたんですけど、

一向に実現しないという話です。。。