元小学校教員のもっと生きやすく・楽しくなるんじゃないかブログ

小学校教員病休→休職→退職。幼い2児の育児中。誰にでもその人固有の良さがある。それを輝かせて、よりよい人生を歩んでいきましょう。

仕事は辛いもんだと思っていた私が、仕事は楽しい!を背中で語れるようになった!

こんにちは。kazです。

 

今朝嬉しかったことがありました。

娘に

「お母さんは何でそんなにお仕事が好きなのー?」

って聞かれたんです。

 

私は、鼻の穴ふくらませながら答えましたw
「楽しいからだよー!仕事が楽しくて面白いんだよー!」

一般的にはまだ「仕事」ではなく、

「起業準備中」になるのでしょうか。

「仕事」って何?ってことでも深く掘り下げられそうですけど、

ここでは置いておいて・・・

 

仕事は辛いもんだと思っていた私が、

仕事は楽しい!って思えるようになった経緯と、

その概念を我が子に伝えたいと強く思っている理由を書きます。

 

 

 

我が子に私の生き様を見せたい!

 

というのが私の人生のテーマの一つです。

なぜそれをしたいのかというと、

ずーっと苦しんで、自分を抑えて生きてきたけど、

もちろん幸せになりたいって思って一生懸命でしたよ、

でも、解放したら、こんなに楽に生きられるんだって知って、

もっと解放したら、人生は自分で創れるってわかって、

そしたら本当に何でもできるんです。

 

楽しく生きるか、苦しく生きるかは、自分の選択だったんだって

36年生きてきて、やっとわかりました。

 

 楽で、楽しくて、

さらには、世のため人のためになる生き方・働き方に目覚めました。

 

これからを生きていく子どもたちには、

人生は豊かなんだ、自分で創れるんだ、

仕事も人間関係も辛いものなんかじゃない、

好きなものを選んで、やりたいことをやっていいんだって、

それを当たり前のように思っていてほしい。

 

だって、これからの時代は、

決められたことだけやっていればいいなんてもんじゃない、

自分で何かをつくり出せる人が重宝される時代、

いや、そういう人しか生き残れない時代。

そして、それは誰もが持っている固有の才能を生かすことでしかかなわない。

その人にしかできないものを提供して貢献しながら、

自分のやりたいことも実現していく。

そんな豊かな人生を築いていく段階にきているようです。

 

だからこそ、

自分の才能に気づいたお母さんが

それを仕事や人生に生かして楽ししんでいる様を

背中で語れる人でありたいって思っていたんです。

 

そしたら、今朝の娘の質問。

まだまだ古い価値観に囚われてしまうことがありますが、

仕事が楽しいという背中を見せられていたんだー、

そんな生き方ができるようになったんだー、って嬉しくなりました。

 

夫も3月いっぱいで退職する予定です。

夫と人生について語りたい、我が子のことを語りたいって思っても、

時間に縛られた仕事をしていると、

話したいときに話せないんです。

私にとって夫はベストパートナー、

お互いの凸凹がほぼピッタリ補い合えている存在、

それぞれの価値観がすべて一致しているわけではありませんが、

自分の望む未来に家族は絶対に必要で、

二人で意見を擦り合わせていかなくてはいけない場面があるのに、

話せない、一緒にいられないことが耐えられなくて、

私が退職を切望しました。

夫がそれをどう受け取って決断したのかは、私と違うみたいですが、

でも同じ方向を向いて人生を歩むと決めてくれました。

そして、3月中にはとりあえず実家へ引っ越します。

新築で購入したマンション売却の話も進めています。

 

二人とも安定した職に就いて、結婚して、子どもが2人いて、

持ち家があって、マイカーがあって、老後も安心、

という、いわゆる順風満帆、理想の人生を手にしていたのですが、

その道から外れることを選びました。

公務員じゃダメ、大企業がダメなんてことは全然なくて、

 

自分を抑えるような生き方はしないで!

楽しい、ワクワクドキドキする、面白い、を忘れないで!

誰にでも才能や可能性があることに気づいて!

人生は思っているより、もっと良くなることを知って!

 

そういうことを我が子に伝えられたらいいなぁ。

 

我が子だけでなく、これからの未来を生きる子どもたちにも、もちろん伝えたい。

そのためには、教育や子育ての概念を変えていく必要があります。

子どもたちに関わる多くの人、生き方のお手本となる社会全体の価値観は

今のままでいいのか?そんなはずはない。

そんな思いもあって、発信しています。

 

でも、全然整ってないんです、私。

こはちゃんと書いておきたい。

悩みながら、揺れながら、一つ一つ腑に落としながら、

進んでいる毎日です。

 

ただ、楽しんで生きている先輩たちが周りにたくさんいるのは幸運で、

それも自分が行動して飛び込んだから得られた環境なのですが、

その方たちからいい刺激をたくさん浴びています。

そうやって、一歩一歩進んでいくしかないので、牛の歩みかもしれないですが、

一歩を出すか、出さないかは自分で選択できます。

よりよい人生を選びとってほしい!そう願います。

目の前で起きている現象は、大事なことを教えてくれる。息子に教えてもらったこと。

こんにちは。kazです。

 

今日は息子から教わったこと。(育児~最後は才能の扱い方の話です。)

食べるのが大好きな息子、食べることで自分を満たしていると思っていた、

でも、本当に欲しかったのは〇〇だったなんて・・・

という話です。

 

 

下の息子、2歳8か月、絶賛イヤイヤ期。

面白いくらいに、一言めは、

「やだ」「だめ」「ちがうー」

という否定から入ります。

これも大事な成長の過程、全部全部意味があって言っている、

なんてことが、わかるようになりましたが・・・

その場になると、

「なにをーー!?」

と2歳相手に本気でイライラしてしまうんです。w

 

そんな息子、誰に似たのか、食べるのが大好き。

「おなかすいちゃったーなんかたべたいー」

が口癖というのは、保育園でも両家の実家でもみんな承知のこと。

そして、母性本能をくすぐるコツがわかっているのか、

おばちゃん・おばあちゃんがなぜか優しくしてしまう、なかなかなヤツ。

いつの間にか、お菓子をもぐもぐしています。

 

外では仕方がないにしても、

我が家ではそんなに好き勝手食べさせたくない!

と思いながらも、

ワンオペで育児をしている時間は、頼らざると得ない時があります。

 

保育園のお迎えから家に入るまででも、

 

まず玄関に行かない、

靴はかない、

車に乗らない、

チャイルドシートに座らない、

何とか乗せて走り出すと、こっちじゃないーと叫ぶ、

家についても、車から降りない、

降りても、歩かない、

歩くまで待っていると、トイレが間に合わずに駐車場で漏らす、

泣いて動かない、

エレベーターのボタンを姉に押されて泣く、

家に入りたくないーー・・・

 

そんな毎日です。(涙)

ちょっと気に障るとすぐにおしっこじょーって出しちゃうから、

母はいつも気が張っています。

 

会話でうまく乗せることもできたり、

パトカーとすれ違っててテンションあがることもあったり、

でも、どうにもならないときは、飴ちゃん出します。

ほとんど毎日出してます。w

 

 

だからねー、助けてもらってるから、飴ちゃんのことを悪く言いたくないけど、

砂糖の中毒性のことを考えると、本当はあげたくない。

 

でも、息子もきっと保育園でがんばってて、

しかも帰ってからも家事に忙しく、満足にかまってあげられなくて、

本当はもっともっと甘えたいんだろうな、

そういう時間をたっぷりとってあげようと思ってやっているけれど、

まだまだ足りないのかなぁ、

その分、甘いものを口に入れて満足しているのなら、

少しぐらいいいよね、

にしても、いつも食べたい食べたい、本当に好きだな~・・・

 

 

ふと、飴を渡して口に入れる息子を想像してみた。

 

満足そうな顔を見て、ふっと緩む感覚。

 

・・・!!

 

繋がったー。

そうか、息子は自分が食べて満足したかったんじゃなくて、

私が「緩む」のを感じたかったのかもしれない。

 

いつもいつも何か事が起きないように、

おしっこ漏らさないように、こぼさないように、イヤイヤ言われないように、

めいっぱい気を張っている私、

飴を渡した後は、少し緩められる時間、ブレイクタイムになっていたんだ。

 

息子は私が緩んでいる時間が欲しかったんだ!

 

張り詰めることを少し休んで、緩むことで、

息子も心から満たされるんじゃないかと思えます。

 

 

子どもはなんて大事なことを教えてくれる存在なのでしょう。

そう、今の私に一番足りないものは「緩むこと」。

 

育児でも、日々の営みでも、いつも気が張っています。

次は何をしよう、こうするとよくなるぞ、もっとこうしたら・・・

って考えて考えて、

それが自分のワクワクすることであり、みんなのためでもある。

 

そして、それが私の才能であると知ってからは、もっともっと生かそうと、

考えて考えて・・・。

でも、それを突き詰めすぎると逆に転じる恐れがあります。

自分や周りを壊してしまうことも。

自分の才能を知ること、生かすことはすごく大事なのですが、

才能って、その人の中で鋭く尖っているものでもあります。

それをどう扱うかという点はこれからの課題だなぁと思いました。

 

 

その一つが「緩む」だよって、息子に教えてもらいました。

思考だけで進むのではなく、緩んだら、もっと才能が光るものになりそうです。

 

目の前で起きている現象って、本当に今自分に必要なことを教えてくれます。

息子ちゃん、ありがとう。

お母さんは「緩む」よ。

それはあなたのためでもあるし、世の中のためでもあるもんね。

教員の働き方改革って本質的じゃないよね。どの業界にも当てはまるので、読んでほしい。

こんにちは。kazです。

 

教員の働き方改革にメス!!!w

 

私はこれからビジネスの一つとして、

教員の支援をしていきたいと思っています。

 

なぜなら、

子どもたちのこれからが心配だから。

もっともっと自由に自分らしく生きられる世の中、

それを担っている世代なのに、

育むことができていない、むしろ逆を行っている教育界を立て直したい。

なぜ育めていないか?

先生たちが生きにくさ・働きにくさを抱えているから。

でも、私は知っています。

先生たちは潜在的にものすごい能力やパワーをもっていることを。

だから、先生たちに目覚めてほしいと思っているのです。

 

で、しばらく離れていた教育界でしたが、改めて調査し始めました。

そしたら最初に出てきたワードが、

 

「教員の負担軽減」

 

素晴らしい!ようやっと国が乗り出してくれましたね・・・

 

ではない!!!

 

このワードに違和感大、大ありです!!!

 

負担軽減って、負担ありきじゃないですか!!!

 

負担のある生き方・働き方なんてないんですよ!!!

 

 

実際、

・ICTの活用(タブレット導入、テレワーク、ファイル共有など)

・業務アシスタントの雇用(掲示物、配布物手伝い)

・お盆休みを閉庁日に

など、既に取り入れられているものも多く、

「残業時間が削減された、負担が軽減した」というデータもあるようですが・・・

 

本当ですか????????????

 

私が教員だったら、何にも変わってないじゃん、

むしろ覚えることが増えてるし、

働き方改革なんて、クソ食らえーーー

 

失礼しました、取り乱しました。。

 

教員って、もうすでに容量いっぱいだから、

「もうこれ以上増やしたくないです!」

っていうのが根本的にあると思うんです。

なのに、新しい何かが導入されるという現実・・・

だから、素直に「働き方改革ありがとう」って思えないんです。

 

これは、指導要領改訂とか、新しい行事を始めるとかも同じです。

もう今で手いっぱいだから、新しいことやりたくない、

でも上が決めたことだから逆らえない、

だから身が入らない。やりたくないモードになる。

 

なぜなのか、学校って、新しいことはどんどん始めるのに、

古いものを終わりにするという風習がなく、(古き良きを大切にはわかりますが)

教員からすると、増える一方、という印象があります。

 

でも、退職して、視野が広くなって、よくよく考えてみると、

指導要領って、子どもの未来を考えた政策になってるし、

新しい行事も、子どもたちのために企画されたものだし、

やる価値があるな、本質的だな、って思えるんです。

 

教員の働き方改革だって、

こうやって教員のことを考えて動いている人たちがいるっていうことに、

感謝の気持ちが生まれます。

 

でも、

やっていることはありがたいのですが・・・

「教員の負担軽減」

は、全然本質的じゃないですよーってことが言いたい。

 

もっともっと抜本的改革が必要。

教員の立場をもっとよく理解して、

子どもたちの未来をもっとよく考えて、

どうしていくのが本当の改革になるのか。

 

負担を強いられている教員を間近で見ている子どもたち、

社会のことをどう見るでしょうか?

未来に希望を持てるでしょうか?

 

これは親子でも同じ、社会全体でもそうですね。

子どもは大人の背中を見て、価値観や生き方を習う。

そしてその子どもたちが未来を創っていく。

 

教員の働き方改革は、誰のためにあるのか、

未来を見据えた動きになっているのか、

 

教育全体も、誰のため、何のためにあるのか、

 

そのことを踏まえて、一人一人ができる行動をとっていくしかありません。

 

初めにも述べましたが、

14年教員として働き、たくさんの先生方と出会ってきましたが、

先生のキャパはこんなもんじゃない!

潜在的にもっている能力は凄まじい!

もっともっと自分を解放して、自分のために生きて、子どもたちのために生きてほしい!

 

能力を、我慢することや仕事をやりきることに使っている気がしてなりません。

負担と戦うために教員になったつもりはないでしょうし、

負担なく無理なく、子どもたちのために働けるはずです。

 

これは、先生に限った話ではないと思います。

今いる場所で精いっぱいやるのがよい働き方ではなく、

自分に最適な働き方をする、それがたまたま今いる場所なだけ、という感覚。

最適じゃなかったら、最適に変化させていくか、場所を変えるか。

自分が一番輝ける場所を選べばいいんです。

 

私ができることは、発信していくこと、そして仲間を集めること、

そしてどんどん広げていくこと。

がんばって発信しないと!そんな気になってきました。

苦手を克服したくて、自分を掘り下げてみました。

こんにちは。kazです。

 

今日は、「自分の状態を言語化するって大事だよ」って話です。

 

 

昨晩、所属しているコミュニティにてzoom会がありました。

これから始まることのオリエンテーションのよう感じで、

初めての人の話を聞いたり、雑談したり。

 

で、私は公言もしているのですが、複数対面が苦手。

オンラインでは自分の考えをどんどんアウトプットできるのですが、

対面が苦手で、全然自分の良さが出せないのはわかっていました。

昨晩もやっぱりアウトプットできなかったなーと振り返りつつ、

自分研究が始まりました。

 

私は、元々自分を表現できない人でした。

それは、前にも書きましたが、

「ダメな自分」をさらしてはいけない、さらしたら自分が崩壊する

って思っていて、分厚い鎧を着込んでいました。

いつ攻撃されるかわからないから武装して、いつも臨戦態勢。

人との関わり方も、仕事への取り組み方も、

無理をして、自分じゃない自分を演じてきました。

だから、重すぎて、無理しすぎて、倒れてしまったんです。

 

後に、その鎧の隙間から本当の自分が「助けてー」って言っていることに

気づいてもらい、救ってもらいました。

身軽な自分になり、鎧なんて着なくても

人と関わり、自分を表現できるようになりました。

 

前から比べると本当に楽になりましたが、

でもまだ複数対面に苦手意識がある。

苦手意識があるということは、意識している。

なんか気になっている。

 

違和感って、「ちょっと気になるけど、まあいいか」って

やり過ごせてしまうことが難点。

でも確実に自分にストレスを与えてきている厄介者。

このストレスを放っておくとエネルギーロスになる。

だからここは絶対に掘り下げた方がいいところ。 

 

ちなみに、「なんか違和感がある」だけじゃ全然足りなくて、

何に違和感があるのかをまずは見極めること。

今回のように「複数対面が苦手」と言語化する。

でもこれでも足りなくて、

対面の何がどう苦手なの?どこに引っかかっているの?

と深く掘り下げることが重要。

根本原因がわかると、ピンポイントで対処できます。

時間も労力も無駄に使わない。

有限な人生、大事なことにエネルギーを費やしたいですからね。

 

 

では、掘り下げます。

 

私はなぜ複数対面が苦手なの?

―➀みんなが流暢に話している中、私だけ全然違ったこと言ったらどうしよう。

―②どこで会話に入っていいかわからない。

 

➀違ったことを言ってはいけないの?

―間違ってもOK、むしろ気付きを与えられなくなる方がもったいない→解決

 

②なぜわからないんだろう?

―タイミングがつかめない。

どんなタイミングがいいの?

―注目されないタイミング→それ考えても意味ないw

なぜ注目されたくないの?

―注目されることへのトラウマ

―ダメな自分を露呈することになる

 

 

やっぱりそうでしたかー。

「ダメな自分」と戦っていたようです。

ここでトラウマという言葉が出てきたので、

 

「トラウマの克服」をググりました。

 

簡単にまとめると、

◆トラウマとは

無意識的な条件反射

長く引きづるほど、強固で複雑化するため、克服が難しくなる

 

◆解決策

 トラウマ記憶を少しずつ書き換えていく

(心臓がバクバク言っていたのを小さくするような、小さなステップで)

 

ということは、複数対面をやり続けていくことが解決になるんだとわかりました。

 

思えば、少し前は、1対1でも「ダメな自分」をさらしてはならないと

必死でした。

少しずつ書き換えていって、克服できた。

だから、複数対面も身軽な自分で臨めるようになるのではないかと思います。

 

 

今回の記事で伝えたかったのは、

「自分の状態を言語化することの重要性」です。

しかも、できるだけ掘り下げて詳しくピンポイントで!

ここをいい加減にやってしまうと、結局違和感は拭えません。

 

ちなみに、「複数対面 苦手」でもググりましたが、

情報が多くて、自分に合った解決策を探すのに苦労しそうでした。

 

自分を知っているということは、めちゃくちゃ強みになります。

苦手を克服することにも、好きを追求することにも、

エネルギーが必要です。

人生も有限、エネルギーも有限、

好きなことにエネルギーいっぱい注いで豊かな人生にしましょう!

富士山、そこに在るだけで影響を与え続ける、圧倒的存在感。

こんにちは。kazです。

 

今朝、富士山が快晴の空にそびえ立っているのが見えました。

富士山まで100km近く離れていますが、

その存在感は圧倒的です。

 

約1万年前から火山活動を繰り返し、あの美しい形をつくり、

昔から今なお、日本人だけでなく世界中の人々を魅了する富士山。

 

形を変えることもなく、ただそこにあるだけなのに、

エネルギーなのかパワーなのか言葉なのか、

受け手によって違うけれど、何かを発しているのは確か。

 

存在感て、こういうことなのか。

 

私には尊敬する人がたくさんいます。

生き方や語っていることから学んでいるのかと思っていましたが、

もしかしたら、その存在自体が私を突き動かしているのかもしれない、

そんなふうに思いました。

 

そして、私も、

この私の存在で影響を与えていけばいいのか、と。

 

自分の価値を知るとか、自己を肯定するとか、

それも本質ではありますが、単なるハウツーなのかもしれない。

 

もっともっと大事なのは、

自分がそこにある それだけでいい 

という存在感なんだ。

 

我が子にとって、夫にとって、愛犬にとって、

身近な人たちにとって、社会にとって、

私がここにいるだけで、それだけで価値を与えている

そんな存在になればいいんだ。

 

思えば、

子どもはこんなふうに育てた方がいい、

夫との関係性は、

愛犬に寂しい思いをさせている、

社会貢献するには、

そんなふうに頭を使ってばかり。

 

特に子どもに対しては、

ああでもない、こうでもないと、つい口や手が出てしまう。

 

そびえ立つ富士山のように、圧倒的な存在感で子どもを包んだら、

もっともっと子どもたちは伸び伸びとしていられる。

 

 

私を見て安心していられる、

私の生き方が何かを発している、

 

そんな私の存在で、家族も社会もわずかでも良くなる、

そんな人であればいいんだ。

 

 

頭を使って、ああでもない、こうでもないと、

ちょこまかちょこまか動いてしまう私、

それは、何かを持っていないといけない、何かを達成しないといけないと

思い込んでいるんですね。

何かをやるのではなく、もしかしたら何もやらない方がいいのかもしれない。

 

富士山のように堂々とそこに在る、

今日気づいたから、そう在れる。

いつの間にかそんな自分になっていることに気づくのかな。

<人のせいにする>マインドは、そのエネルギーの使い方さえ間違えなければOK、という話。

こんにちは。kazです。

 

人のせいにする人 ってどう思います?

 

なんか嫌な感じですよね。

すぐ人のせいにして、

「あの人がいるから私はこうなった」とか

「あの人のせいで全部台無し」とか

 

・・・

それ、私です。

 

正確に言うと、過去の私です。

 

私、人のせいにする人でした。

過去ブログでも書いたかもしれませんが、

今ほどマインドは整っていないので、どんなこと書いたか失念。

 

今だって、そういう<人のせい>マインド持ってます。

 

払いたくもない税金払って、全然納得のいってない社会保障受けて、

って思ってるし、

日本の教育がなってないから我が子を学校に通わせたくない、

って思ってるし、

原発反対だけどその電力使ってる、だってそれしかないもん、

って思ってるし、

 

これが恩恵だった時代もあったけど、

きっと私たち市民が経済的精神的に自立し出したんでしょうね。

自立し出したのに、環境が追いついてないって感じなのでしょうか。

だからなんとなく、「こんなはずじゃない」が積もる。

いつもこんな社会的なことを考えているわけではなく、

もっと身近なことで、職場や家庭に文句言っていたと思います。

 

もっと私は幸せになれるはずだし、

もっといろんなことができる、

でも周りがそうさせてくれない、

お上が勝手に決めた、お上のせい、日本のせい、周りのせい、

私は悪くない、

 

そうやって人のせいにしてきました。

 

これは鬱になる前の私ですね。

 

鬱になったときは、周りのせいにしたいけど、

そのエネルギーすらなくて、全部自分のせい、自分の存在がダメなんだ・・・

そんな時期もありました。

 

そこから自分と向き合う日々が始まり、そして自己肯定ができたんですけど、

自己受容できて自己肯定できたら、

世の中は何も変わっていないけど、

もう人のせいでも自分のせいでもなく、

世の中のことも肯定っていうんですかね、こういうもんだっていうか、

そこにとやかく言っている暇はないというか、

そのエネルギー、ちょー無駄!

だったらその状況を変えるべく自分が変わればいいんじゃん!って

思うんですよ、普通に。

 

 

それで思ったんですけど、

人のせいにしていた時も、今も、

 

「私はこんなもんじゃない!もっと良くなる!」

 

という思いは変わらずに持っているんですよね。

 

それが、自己肯定ができていないときは、

《私がここ止まりなのは、誰かのせい、誰か成敗せねば!エイヤー!》

というエネルギーの使い方。

( ↑ 実際成敗する人なんていないから、無駄って話です)

 

自己肯定できている今は、

《私がどう行動すれば状況がよくなるか?おっ、これやってみよっ!》

というエネルギーの使い方。

 

 

どっちが状況がよくなると思いますか?

 

なんか、誘導的な質問をしてしまいました、すみません…

先生の悪いクセですかね。(世の先生方、それこそすみません!)

 

後者ですよねw、自分が行動することで状況は変わります。

 

だから、あながち<人のせいにする>というマインドは

<変えたい・変わりたい>マインドであり、

悪くないんじゃないかと思ったのです。

その湧き出るエネルギーをどう使うか、が大事なんじゃないかと。

 

そうやって、エネルギーの使い方を間違えなければ、

未来への投資として上手に使いこなせれば、

未来は自分の望む形になると思いませんか?

 

 

最近、好きなこと、やりたいことだけする!って言っていますけど、

こういうエネルギーの使い方ができるようになったからなんです。

 

エネルギーといっても、いろいろあって、

分かりやすいところで言うと、

<お金>というエネルギーを使って、

本を買って勉強、旅に行って発散、これで解決することもありますよね。

 

<知恵・アイデア>というエネルギーを使って、

提案したり解決策を考えたりもできます。

 

<力>というエネルギーを使って、

不要なものを力技でどかす?w 思いつかないww

 

まだまだ勉強中なので、無駄にしているエネルギーはたっくさんありますが、

少しずつでもそんなふうに使えるようになって、

なりたい自分になれて、できないことなんてない!って

思えるようになりました。

 

少なくとも、

人のせいにして、見えない敵と戦ってエネルギー消耗しているよりは

マシでしょ?w

 

 

なので、今日のまとめ!(授業っぽいw)

<人のせいにする>マインドは

<変えたい・変わりたい>願望ですよ、

そのエネルギーを<人のせい>で終わらせず、

ちゃんと<未来への投資>に使ってくださいね!

 

ということで。

私、本当に授業がド下手だったんで、言いたいこと言って、まとまってなくて、

子どももいつも混乱してたんだろうなーと思います。

皆さんに伝わっていたらいいのですが。

 

 

好きなこと、やりたいことだけで生きていくことは・・・可能です。

こんにちは。kazです。

 

好きなこと、やりたいことだけをやって生きています。

 

退職したからでしょ、仕事してたら無理だよー

子どもが保育園行っている間、そりゃあ好きなことできるよねー

旦那さんが働いたお金で好きなことやってるなんて、ねー

 

うー、鋭いところをつつきますね、

はい、まさにおっしゃる通りです。

 

でも、でも、言い訳ではないけれど、

これからビジネスをするんです、つまり仕事するんですよ!

旦那も引き連れて田舎暮らし、つまり無収入になるんですよ!(たぶん)

 

ふうー汗、真実でもあり、強がりでもあります。

まあ、言ってるだけなら何とでも言えるし、

まだビジネス始まってないし、旦那会社員だし、

だからまだ汗かいちゃいますけど。

 

日常生活、好きなこと、やりたいことだけやるなんて不可能、

っていうか、そんなことしちゃいけないって思ってしまいますよね。

 

誰が決めたんですか?

 

 

仕事してても、子どもが小さくても、 

好きなことだけするって、可能なんです。

 

いやいやいやいや、あんた、あんたが言ったら説得力ないよ、

って言われるのも承知でw

そう思った方は、スルーしてください。

あなたの貴重な時間を奪いたくないので。(私の優しさです)

 

 

たぶん、好きなことできていない人って、

義務感でやっていることが多いと思うんです。

私もそうでした。

義務だから、任されているから、仕事だから、親だから、

やらなきゃいけないって思ってしまっている。

 

本当にそう、生きるって、もうそんなことばかりですよね。

 

でも、

 

やらなきゃいけない  を  やりたい  に

 

変換できませんか?

 

例えば、私は、料理が好きです。

だから毎日自炊して美味しいごはん作っています。

でも、集中して料理できたらいいんですけど、

子どもたちの相手をしながらって、かなりしんどいんです。

しかも、一生懸命作ったごはんを、

「えー、今日これ?〇〇(娘の名前)はこれ好きじゃない、いらない」

と一蹴されることもしばしば。怒

 

美味しいもの大好き、だから料理も好き。でも・・・

「子どもたちに食べさせる」ということは、完全に義務感でした。

 

たまたまなんですが、プラントベースの食を広げるグループで、

インスタ投稿を始めました。

私も普段の食卓を投稿しようと写真を撮り始めたら、

子どもたちが楽しそうな顔をこちらに向ける、

ぱくっと口に入れているところを「撮ってー」と言う、

いつの間にか、

義務感満載の食卓が、楽しい食卓に変わっていきました。

 

「私がごはんを作って、子どもがそれを食べる」

その事実は変わりません。

認識が意識が変わっただけ。

義務だったことが楽しいことへと変わります。

 

もし今教員の仕事をやっていたとしたら、どうでしょう?

当時は義務でやっていたことばかりでした。

授業準備、テスト採点・転記、ノートチェック、会議、行事準備、

私はノートをチェックした際、できるだけコメントを書いていました。

子どもたちが「先生から嬉しいメッセージもらえた」って喜ぶから。

そうすると、次のノートも丁寧に書いてって好循環だったなぁ。

でもいつしか「やらなきゃ」という義務に変わってしまったんですね。

どれもそうです。

子どもたちが喜ぶから、子どもたちの成長を感じるから、

それが私の喜びでもあった。

 

義務に変わってしまったということは、

もちろん仕事が増えて、育児もあって、時間に余裕がなくなったということもあります。

 

でも、それだけじゃない。

自分が一番何に喜びを感じるかを知らなかった。

つまりその喜びは持続可能でなかった、ということなんです。

 

そう、自分のことを全然知らなかったんです。

 

今は自分が何に一番喜ぶか、そしてどの喜びが持続可能なのかがわかります。

 

今だったら、「研究」しますね。

どの子にどういうコメント残したら、その子が一番力を発揮するか、とか

どういう丸の付け方したら、効果が最大になるか、とか

思えば、若かりし頃は、めっちゃくそ時間かけて学級通信作ってたなw

研究していたんですね。

 

まあ圧倒的に教師には時間がないので、

研究大好きな私には教師を続けられないということは

わかり切っていることなのですが。

 

 

ということで、まとめますと、

自分の好きなこと、やりたいことだけで生きていくのは可能です。

義務感でやっていることも、やりたいことに変換すればいいのです。

それには、自分は何が好きか、何がやりたいのか、

本当の本当の、持続可能な自分の好き・やりたいを知らなければなりません。

 

自己理解、自己分析をやってみるといいかもしれません。

私、その自分を研究するってのが大好きだったので、見つかりました。

誰にでも見つけられます。

そしたら人生が本当に楽しくなります。

 

こうやって、自分の考えをアウトプットすることも大好きなので、

続けられます。

また書きますね。