元小学校教員のもっと生きやすく・楽しくなるんじゃないかブログ

小学校教員病休→休職→退職。幼い2児の育児中。誰にでもその人固有の良さがある。それを輝かせて、よりよい人生を歩んでいきましょう。

やりたいことを実現させるには、やりたいことを口にすればいい!

こんにちは。kazです。

 

今朝大好きなベーグル屋さんの隣の、大好きなコーヒー屋さんに寄って、

店主のTさんと話をしていました。

そしたら、閃きをいただきました!

もう書きたくて書きたくて、小走りで帰って来てしまいましたw

 

読んでいる人に、いや世の中の人みんなに伝えたい、

 

やりたいことを実現させるためには、

やりたいことを口にすればいいんだ!

 

ということを!

 

 

コーヒーを飲みながらビジネススクールのリーダーが教材として紹介している

ビジネスの本を読んでいました。

 

「何読んでいるの?」

 

から始まって、

今やっていること、これからやりたいことを話していました。

 

やりたいことの一つに、

今改修作業をしている古民家をカフェにしたいというのがあります。

まだ、片付け段階なので、売ることになるかもしれないし、

住むかもしれないし、もしかしたらカフェにするかも、

ということを話しました。

 

T「場所はどこなの?」

私「K市(他県)ですー。」

T「K市は〇〇コーヒーあるでしょ?」

私「何で知ってるんですか?」

T「このスリーブはK市の子からもらって、

  その子がその店の豆を持ってきてくれたんだよ」

T「T市(K市と同県)からもラテアート習いに来てるカフェ勤務の子がいるし、

  T市から時々お客さん来てるよー」

私「そのカフェ店員さん紹介してくださいよー」

T「いいよ、K市はカフェ少ないみたいだしねー」

 

 

とか、カフェやりたいという話から、

人脈も作れそう、

焙煎も教えてもらえる、

夫の雰囲気がカフェ店主に向いてるw、

大工さんに頼めば3か月で店は作れる、

許可が下りるようなキッチンの作り方、

のように少しですが、夢が現実味を帯びてきて、

 

「やりたい」から「できそうだな」という気になりました。

 

そして、一番響いたのが、

 

「今やるか、20年後にやるか、どっちかじゃない?」

 

って言われたこと。

Tさんはお子さんが巣立ってから開業したそうですが、

それまでは子どもを養うということを優先して仕事をやっていました。

子どもが大きくなって今よりもお金が必要になったとしたら、

ますます始められない。

 

いつやるの?

今でしょww

 

 

やりたいことがあっても、頭で描いているうちは

夢のまま終わってしまうっていうのは、本当なんだと思います。

 

先日思い出したのですが、

鬱で精神科に通っている時に、カウンセリングの先生に、

「どんな自分になりたい?」

と聞かれて、私は

「自分のことを自分の言葉で語れる人」

「自信のある人」

と答えました。

当時は、絶対に届かないと思っていた二つの理想像ですが、

1年後の今、どちらの自分にもなれているんです!

 

口に出したら実現する、なんてことは全然知らずに、

たまたまの産物なのですが、これが現実なんです。

 

また、1年前、

「軸のない自分」と「楽しみのない自分」

に悩んでいました。

あんな人になりたいな、と思っていた人は、

みんな軸があって、自分をしっかりと持った人でした。

また、当時職場で「kazさんの趣味って何ですか?」って聞かれて、

「昔はこういうことしていたけど、今は…ない」

それから、私は何している時が楽しいんだろうってずーっと考えていましたが、

答えは全然見つからなかったんです。

 

それが最近、

kazさんの発言は軸がありますよね」

「人生楽しんでるなーっていうのが伝わります」

って言われて、

なりたかった自分になれてる!という発見がありました。

 

宣言という形で口にしていたわけではないのですが、

本気で追い求めていたのは確かです。

 

そうそう、「本気」というのが大事だと思います。

 

「お金持ちになりたい!」

と宣言したとしても、本当にそれを望んでいるのかどうか、が重要ということ。

 

 —なぜお金持ちになりたいの?

 

これに明確に答えられれば、本気なんだと思います。

 

私も一時期、

ヴィーガンになる!」(動物性食品を一切摂らない・身につけない)

と思って活動していました。

でも、

 ―なぜヴィーガンになるの?

 

「動物を傷つけたくないから…?」

「環境を守りたいから…?」

 

てな感じで、最後に?がついているまま活動していました。

だから、何となくいつも違和感がつきまとう。

私は本当にこれがやりたいのか?って。

 

今は

「動物を傷つけたくないし、環境にも優しい選択をしたい、

 でも一番は、美味しくて負担がなくて楽なもの、それがレスミート!」

と答えられます。

 

自分が選択してやっていることなのに、

なんか、微妙に、違うよ~な…

だと、続かないんですよね。

 

めっちゃ話がそれました。

 

 

本気でやりたいと思えることだったら、

口にした方が確実に実現に近づきます。

なぜなら、協力者やチャンスがやってくるから。

口にしなければ、やろうとしていないのと同じ、

誰も助けてくれません、だって知らないから。当然ですよね。

 

もうやりたいこと、じゃんじゃん口にしちゃいましょう!w

みんなで助け合って、夢かなえまくって、素敵な未来にしましょう!

楽しみですねーー!

 

人生は向き合うことの連続。「逃げる」「隠す」人生を送ってきた私だから言える「向き合う」ことの大切さ。

おはようございます。kazです。

 

私の人生にとって、「向き合う」ことがテーマです。

 

幼少期から学生時代、教員になってからも、

自分やあらゆる物事に、真正面から向き合ってこなかった結果が、

鬱だったのだと思います。

 

最近も我が子2人との夕方~夜の時間が、どうにも上手くいってなくて、

もちろんそういう発達段階でもあり、また私の睡眠不足も重なってなのですが、

結局子どもに真正面から向き合っていなかったからなんだとわかりました。

忙しくしていると、「待っててね」だし、

離れたところでやり取りを聞いているから、

いざこざが起こると遠くから「もおー!〇〇がこうしたからでしょ」ってなるし、

私も子どもたちもモヤモヤ。解決したようで解決していない。

スッキリしないものを持ったまま次に進むから、

また次も上手くいかない。その繰り返し。

 

とにかく「ゆとり」をもつこと、

そして「向き合おう」と決めてから、上手く回り出した。

忙しくても手を止めて話を聞く、

何かあったら近くまで行って二人の言い分を受け止める、

なんて簡単なんだ、これだけでよかった。

(でもできないのが現実、世の母さんは本当にすごい)

 

 

今日は育児の話をしたかったのではなく、

人生は向き合うことの連続だってこと。

 

犬の散歩中、たまたま車と自転車が大きな音を立ててぶつかるのを目撃した。

幸い大けがには至らず、(たぶんほとんど車体同士の接触

車から降りてきて話したり、電話したりとすぐに対応していた。

 

大学生時代、バイクを運転していて車とぶつかったことを思い出した。

曲がろうと停車した車に、後続した私が不注意でこすってしまった、

というのが本当のところ。

私は逃げてしまった。

咄嗟に逃げるという選択をしてしまったのだ。

それはその事実と向き合いたくなかったから。

自分が悪い、それがわかっていて、その事実から逃れたかった。

でも結局追いつかれてしまった。

親を通して保険会社と連絡を取り、任せることになった。

すべて親や保険会社に任せることになったので、

結局私はそのことにしっかりと向き合うことなく終わってしまった。

結果として事実から「逃げた」ことになってしまった。

 

そうやって、自分に都合の悪いことは

「逃げる」「隠す」「嘘をつく」

ということで人生を歩んできた私、

人生を歪ませてきた私、

対外的に見ると、順風満帆に見えていたのかもしれないけれど、

心の中は荒んでいて、もうどうしようもなくて、

そしてどん底に落ちたんだと思う。

 

でも本心ではわかっていた、逃げちゃいけないって。

向き合わなきゃいけないって。

だから決断したわけじゃないけど、

これからの人生は全てのことに向き合って、

自分の人生に自分で責任をとろうって思って行動してきたみたい。

そしたら人生が上向いてきたみたい。

 

今は人生を自分の足で歩いている感覚がある。

どんな困難があっても、簡単には倒れない自信がある。

なんでもできそうな気がする。

あー私に生まれてよかったな、

この人生を生きてきてよかったな。

辛い出来事もあって、まだ受け止めきれないこともあるけど、

きっとそれもどこかのタイミングで私に何かを与えてくれるんだ。

 

 

「楽に、生きやすく」「すべてを肯定して」って思っていたけど、

苦しみも苦しみとして持っていればいいんだなって、

今は何となくわかるようになってきた。

 

 

うおーー人生ってこんなに面白いのか!!

テンションが上がる自分を抑えつつ、

今日は穏やかな感じで終わります。w

 

息子のイヤイヤから始まり、子どもたちへの溢れる愛おしさで眠りについた話。

おはようございます。kazです。

 

娘と息子が心の底から愛おしい、

溢れる気持ちを抱きながら昨日は眠りにつきました。

 

それは息子のイヤイヤから始まります。

イヤイヤへの対処をしながら、

これまでの自分の育児や、今の自分の現状を思考したことを書きます。

 

 

下の息子は2歳7か月、

おしゃべりも上手になって、自己主張もしっかりできるようになって、

でもまだ自制はなかなかできない、

いわゆるイヤイヤ期真っ盛りです。

昨晩は大好きな電車の動画を観ていて、

「あと1つ観たら終わりだよ」

とお父さんに言われて

「うん」

と元気よく返事したものの、

終わることに納得しておらず、大泣きしてしまいました。

(ほんと、毎日同じことの繰り返し)

 

先に寝室に行っていた私のところに来て、

「お父さんがーー終わりってーー見たかったーーー」

と主張しました。

休日で夫がいたため心にゆとりがあったので、

(ワンオペの平日だと余裕ない汗)

「そうかそうか、見たかったんだね」

「終わりにしたんだね」

とにかく、否定せず共感、ひたすらそれだけ。

 

私の頭の中、

(心にゆとりがあると、これだけ時間を割いてあげられるんだなー

 平日だったら、「約束したでしょ」って少し否定しちゃうだろうなー

 娘のイヤイヤ期にもこうやって対応できたらよかったのに…)

 

これだけ心にゆとりが持てるようになったのは、ここ半年くらい。

それより前だったら、

自分の言動が子どもへ与える影響についても、

イヤイヤ期の重要性も、これほどわかってないし、

そもそも、自分が満たされていなかったから、

イヤイヤされたら、「どんだけ私を苦しませるの?」って思ってたはず。

平日でも休日でも関係なく、逆ギレしてしまっていたと思います。

 

いろんな大切なことに気が付けて育児ができているので、

息子は本当に伸び伸び、いわゆる自己肯定感が高い子に育っています。

一方、娘は自己肯定感でいうと、少し私の言動によって揺れることがあります。

イヤイヤ期真っ盛りの時に、否定しまくってしまったからだと思います。

途中から軌道修正できたので、

対外的には超自己肯定感高いし、本来の天真爛漫な姿に近づきつつあります。

何かあったときには、揺れやすいというか、感じやすさは残っています。

 

でも当時の私はそれが精一杯だったし、

それを経て、下の息子に今の精一杯を出せているし、

上の娘にも今の精一杯で接しているし、

誰も何も悪くない、

これからの未来はこれからの行動で何とでもなるから、

心配はしていません。

というか、子どもたちの変化や成長が楽しみで仕方がないです。

 

そんなことを想いながら、子どもたちを眺めて、

はぁ~幸せ~な気分になっていました。

 

 

1年前、生きるって苦行なんだと思っていた私、

こんなに苦しいなら、もういなくなりたいと思っていた私が、

自分のすべてを肯定できて、人生すべてを肯定できて、

こんなに心から満たされることを感じられて、

それは苦しさを乗り越えたからであって、

その苦しさを与えてくれたすべての人や出来事にまで感謝できるほどに。

ここまで言うと嘘くさく感じますがw

人生ありがたや~~~の連続です。

五感を研ぎ澄ます。生きている、ここに在ることの素晴らしさ。

こんにちは。kazです。

 

新しく「備忘録」カテゴリーを作りました。

今読んでいる本に書かれていることを、

字のごとく忘れたくない、そして多くの人の目に触れるように、

記事にして残しておきます。

 

『次の2つから生きたい人生を選びなさい

 ハーバードの人生を変える授業Ⅱ』

タル・ベン・シャハー著 成瀬まゆみ訳

 

ーーーーーーーーー

「五感を研ぎ澄ませる」

 

ヘレン・ケラーのエッセー「目の見える3日間」

1歳7か月の時に病が原因で視力と聴力を失ったヘレンは、

もしも3日間、目が見えて耳も聞こえたら何をするだろうか、

ということを書いています。

 

 目の見えない私から、目の見えるみなさんにお願いがあります。

 明日、突然目が見えなくなってしまうかのように、

 すべてのものを見てください。

 明日、耳が聞こえなくなってしまうかのように、

 人々の歌声を、小鳥の声を、オーケストラの力強い響きを

 聞いてください。

 明日、触覚がなくなってしまうかのように、あらゆるものに

 触ってみてください。

 明日、嗅覚と味覚を失うかのように、花の香りをかぎ、

 食べ物を一口ずつ味わってください。

 五感を最大限に使ってください。

 世界があなたに与えてくれている喜びと美しさを讃えましょう。

 

ーーーーーーーーー

人の目を気にしまくっていた私が、メイクも肩書もいらなくなった、そんな話。

こんにちは。kazです。

 

今日は、人の目を気にする自分が出てきた瞬間をキャッチして、

人の目を気にすることほど無駄なことはない!という話をします。 

 

 

最近、メイクをあまりしなくなりました。

うっすら日焼け止め、くらいかな。

服装も楽ちんなジーパンとTシャツが多い。

行く場所によって、もう少しちゃんとすることもありますが。

 

犬の散歩をしていたら、顔を見られている感じがして、

あ、すっぴんだから見られてるのかな?

って、居心地の悪い思いをしました。

完全に人の目を気にしている自分が出ましたw

 

いやいや、すっぴんだからって、私幸せだし、

世の中変えていこうっていうエネルギー持ってるしって、

承認欲求強めの私が、心の中で言いましたw

 

すると、目の前に交通整理しているお兄さんがいました。

お兄さん、こんな仕事していて幸せなのかなぁ・・・

 

ちょー余計なお世話!

お兄さん、幸せかもしれないじゃん!

自分の夢を叶えるために資金を貯めていて、

あと10万円で起業できる!

それ以外の準備は整った、あと10万だけ!

よっしゃー、棒を振る手にも力が入るぜ、

1か月後には起業するんだぜ!

世の中の人のためになる仕事を始めるんだぜ!

幸せだ~~~!

 

かもしれない。

そしたら、私より幸せじゃん、羨ましいよー。

 

人を見た目で、肩書で判断しちゃいけないって言うけど、

本当にそうですよね。

その人の内に秘めるものって、ぱっと見わからない。

なのに、私はそういう「人の目」を気にして

メイクしたり、服装にこだわったり、

人が来る時には部屋をちょー片付けたり、

教員の仕事をなかなか休めなかったり、

知識ないと思われないように知ってるふりしたり、

トイレ行きたいのに空気読んで(どんな空気だよw)行かなかったり、

ちっちゃいことも、おっきいことも、ありますが、

とにかく自分の内側じゃなくて、

ちょーどうでもいい外側で勝負していたんですよね。

しかも、その勝負、誰も受けてなかったし…

で、誰も勝ってないのに、「自分は負けた」と思って凹んで…

 

こうやって書くと本当にバカみたいなんですけど、

この「人の目」を気にするってことに、支配され続けていた私。

 

どれだけ自分をダメだと思っていたのか、

ちゃんと見ることもしないで「自分はダメ」という評価を下していて、

自分を真っ直ぐに見つめたら、最初は恐々覗く感じでね、

自分っていいもんいっぱい持ってるじゃん!

ってことに気づいて、

徐々に自信が膨らんでいって、

メイクしてなくても、

肩書なくても、

知識なくても、

37歳なのに子どもっぽい振舞でも、

部屋が散らかっていても、

子どもより自分を優先しちゃうときがあっても、

怠けちゃっても、

内側に秘めたるものがあるんだから、

人がぱっと見でどう感じようが、関係ないっしょ。

って思えるようになった。

 

だから、内側を磨くことにはえげつない程エネルギー注ぎますけどね。

あ、もちろん、モデルとして世界に名を馳せたい!という人だったら、

メイクとか姿勢とか服装とかにもエネルギー注ぎますよね。

だから、自分がどういう分野で活躍したいかってことですよね。

でも、モデル志望でも、クリエイターでも、起業家でも、

内面磨かれてない人は淘汰されてしまうと思うので、

どの分野でも大事ですね。

 

自分の人生に関係のないところで、人目を気にして、

そこで負け意識みたいなのを持ってしまうっていうことが、

もったいないエネルギーの使い方だなという話です。

 

 じゃあ自分はどの分野で活躍したいんだ?

もちろん、それも自分にしっかり向き合って見つけないと、です。

 

私も、自分の夢を叶えるためにお金が必要になったら、

交通整理だって、何だって、やるでしょ。

でもできるだけ空調管理されたところがいいかなーw

自己肯定感を高めるため、どうしたらいいの?その3

おはようございます。kazです。

 

自己肯定感シリーズ第3弾、もう誰も何も言ってこなくなりましたがw、

まだ続きがあったので、書こうと思います。

 

自己肯定感を高めるために具体的に何をしたらいいの?

①自己受容

②アウトプット

 

①は前回の記事です。

「こういう自分はダメ」という自分のルールを壊して、

「こういう自分も自分なんだ」を受け入れる。

ダメな自分になったとしても何も変わらない、を経験することで、

ダメという定義自体もなくなる。

「私は私なんだ」になる。

私はこのままでいい、これが私=自己肯定できている

 

これができると、めちゃくちゃ生きるのが楽になります。

何やっても大丈夫、怖いものがほとんどない。

結局ダメだとジャッジしているのは、自分なだけなんですよねー。

 

 

②アウトプット

これを今回の記事にします。

私自身、アウトプットすることで環境が激変しました。

自己肯定感が低い場合、アウトプットが非常に怖いです。

自分の言動によって周りに迷惑をかけたら…相手に否定されたら…

だから何もしない、言わない、が常でした。

自分を守るためにやっていました。

 

私の場合は病休に入るという大仕事をやってのけた後なので、

それ以上のこわいものはないというのもありましたし、

カウンセリングやコーチングは自分をさらけ出す場でもあったので、

必然的にアウトプットしていました。

自分の中にあるけど、今まで見てこなかったものを出す作業中は、

涙なくしてはできませんでした。

何か言うとポロっと、いやダーーっと涙が出るw

あの時期の涙量は人生最大級だったと思います。

でも不思議と辛いということはなく、むしろ気持ちいい感覚。

やりながら思いましたけど、やっぱり出したかったんです。

誰かに聞いてほしい、私を見てほしい。

・・・でもこわい。

 

やってみるとわかります、こわいことなんて何も起きない。

誰も私を否定しない。

否定されると思っていたのは自分自身。

自分を否定しているのはただ一人、自分だけ。

 

もちろん、世の中には否定する人もいると思います。

(↑たぶんこの人も自分を否定している人なので許してあげてね)

だからアウトプット慣れしていない人は

最初は絶対に否定しない人を相手にした方がいいですね。

私は幸運だったなぁ。

 

そして、自分をさらけ出せるようになってきて、

弱い部分だけでなく、少しずつ自我というか自己主張もできるようになります。

だって、今まで押さえつけてきたんだもん、自己主張したい!

でもね、そしたら周りに引かれている感覚がありました。

そりゃそうです、「自分が自分が」の話をする人を想像するとわかります。

その時に、またしても幸運が。

そんな私の少しズレているところを、優しく指摘してくれる人に出会いました。

その方に心のもっともっと奥深くまで見てもらったら、

まだまだ根深い何ぞやがいっぱい出てきてw

人間長く生きてくると、いろんなところでいろんな鎧を着こんでしまうんですね。

ゆっくりゆっくり脱いでいくことで、裸の私になれて、

裸でめっちゃ恥ずかしいけど、私は私でいられる、を経験しました。

 

つまりですね、アウトプットを続けていると、

フィードバックが必ず返ってくるということです。

このフィードバックにこそ自分が成長できる何かがたくさん眠っているんです。

どんなに勉強して知識やスキルや経験をもっている人でも、

やっぱり一人の視野には限界があります。

そこに他者の目をお借りすることで、ぐーんと視野広がります。

 

自己肯定には、自分のことをよく知ることが必要です。

自分を否定したくないから、見たくないものは目をそらしてしまうんです。

他者の目を借りると、そんな自分を多面的に見られて、

実は目をそらしたくなるようなことではないことに気づいて、

むしろ強みになったりもして。(←これ本当に驚き)

自分をまるごと見る・・・

 

!!←閃き、突然きたw

これすごい大事だ!

「自分をまるごと」

見えている自分だけを自分だと思っていると、

結局見えていない自分を肯定できない。

そうするとモヤモヤが残ってしまうんだー!

いいことに気づけた自分、ナイス!w

 

自己肯定感を高めるためには、

他者の目を借りて、自分を多面的に見て、

自分をまるごと知るってことが超重要。

結局これは自己受容でもある。

 

①自己受容と②アウトプットを並列していたのは、

間違っていたことにここで気づいた。。。

 

 

ということで、気を取り直して、

 

自己肯定感を高めるためには、

→自己受容すること、自分をまるごとすべて受け入れること

 →自分の視野だけでなく他者の視野を借りること(フィードバック)

  →アウトプットしまくること

 

という階層になりました。

いかがだったでしょうかww

 

裸の私になれた、と書きましたが、それはここ2週間くらいの出来事です。

長いこと、約1年かかって、やっと心のモヤモヤが解消。

これで本当の意味で前に進めると思います。

ワクワクというより、心の底から沸き上がるエネルギーを感じる。

 

あともう一個付け足し。

信頼度の高いフィードバックをもらうことが重要ですよね。

だからたくさんメンターを持つってことも大事。

メンターに出会うためにもアウトプットは大事。

そんな感じです!雑!

 

自己肯定感を高めるために、どうしたらいいの?その2―もっと具体的に教えて!という声にお応えして。

おはようございます。kazです。

 

自己肯定感ネタが続きましたが、なんとも反応がいい。

このネタは需要があるんですね。

 

そして、また読者さんから

「自己肯定感を高めるために、

 自己理解を深めることが大事なのはわかった

 じゃあ具体的に何をすればいい?」

との質問が。

ははは・・・反応がよければプレッシャーもかかりますw

 

ということで考えてみました。

とりあえず1日経ってみて、見えたことをシェアします。

 

記事を書く前に、

とりあえず自己肯定感の定義調べてみよーって思ってググってみたら

・・・

自己肯定感

自己有用感

自己効力感

自尊心

自信

・・・

いろんな自〇〇が出てきたw

しかもサイトによって言っていることが微妙に違ったりしている。

そして、それを”きちんと”理解することはあまり意味はない。

とにかく全部高いのがいいに決まっている。という解釈をしておきました。

それと、全部「自〇〇」なので、やはり私が言っていたように

自己理解、自分を真っ直ぐな目で見つめること、自分研究が大事ってこと。

やっぱり、私わかってるわ。自分すげーw

↑↑

この「自分すげー」って思えるのが自己効力感なのではないかな?と思います。

言葉は別にどうでもいいんですけど、

自分は役に立てるとか、自分はできるとか、

これは他者からの評価や他者との比較で高まっていくもの、だと思います。

 

私はこれがめちゃくちゃ高かった。

子どもの頃から何でも器用にできて、

ビアノ、水泳、リレー、習字、カルタ、とか何でも代表やってたし

成績も小学校時代は1番、

発想力もリーダーシップもあるから遊びでもリーダー、

何でも1番が当たり前、私は1番上にいる人、と思っていたんだぁ。

(書きながら思考してます。人生と繋げてます。)

でも中学後半、高校、大学と成績は落ちていって、

というか周りが頭角を現し始めたり、多様な人と混じったりするからなんですが

1番じゃない自分を経験。

でも根底にある「自分すげー感」のために、

1番でない自分を認められない、自分はダメなんだ…

↑↑

この「自分はダメ」が自己肯定感の部分ですよね。

他者との比較でなく、自分の軸で自分を評価するってこと。

私の場合は、「1番でない自分はダメ」があったし、

あとは家庭環境も当時はよくないと思い込んでおり、

古臭い家に住んでいるとか、父親の職業とか、家業のこととか、

兄のこととか、祖母のこととか、自分の体型とか、

いろんなことにコンプレックスを抱えていたために、

いろんな「自分はダメ」を持っていました。

自己肯定感とーっても低かったです。

 

「きれいな家に住んでいない自分はダメ」というのは

当時自分が持っていた価値観による評価であって、

他者はそんなところでまーったく評価していない。

だって、どんな家に住んでいても、kazkazなんだし。

↑↑

家庭環境がどうであれ、見た目がどうであれ、

このkazkazなんだと自分で思えていれば、自己肯定感が高い状態ですね。

 

 

この自己肯定感を高めるためにどうするか、というのが今回のテーマ。

やっと本題かよ。

 

私、どうやって高めていったんだろうと考え、

現時点で2つ思い当たりました。

 

①自己受容

 

前回の記事にあるように、

「大人の振る舞いができない自分はダメ」

という自己肯定低いポイントがありましたが、

そうか、私って子どもっぽいんだ、って気づいた。

ここで

「子どもっぽい自分はダメ、直さなきゃ」

って思ったら、ちょー意味ないので。

もちろん36、いや、最近37になりましたがw

いい年齢なので、落ち着ているところもあるみたいです、

子どもっぽいところもあるし、おばさんなところもあるし、

我が子ほったらかして情報発信しちゃうときもあるし、

我が子を溺愛する瞬間もある、

自分優先しちゃうけど、家族思いなところもある、

できることもあるし、できないこともある、

こんなことに興味があって、これが好きでこれが嫌い、

今だ母に対してイライラするポイントあるなー

出た、承認欲求w、みたいなこともあるし、

・・・

という自分をそのまま受け入れる、ということです。

簡単なように見えて、ジャッジが癖になっている私には難しかった。

誰に何か言われるわけでもないけど、自分がそれを認められないという事実が

一番苦しい。

 

でもなぜそれができるようになったの?って聞かれそうw

 諦めなかったこと

 自分を知りたい欲求が高かったこと 

でも一番は、

 何をしても自分がなくならなかったという経験  です。

 

教員していて学校に行けなくなったことろまで遡りますが、

病休をとる決断を迫られ、

「絶対にそれだけはやってはいけない、

 それをやったら今まで築いてきた自分を崩壊させることになる」

っていう壁を壊した。

それでも何も変わらない自分に気づいた。

↑↑

簡単に書いてますけど、壊して、気づく までが一番苦しい時期でした。

でも、これをなくして、今の自分は絶対にありえない。

だから、

「これだけはやってはいけない」

「これだけは守り通さなければいけない」

を、本当に怖いけど、壊すことなんじゃないかな、と思います。

私の場合は、自分にとって超巨大級の壁を壊さざるを得ない状況にあって、

さきに大きいのをやっつけて、ダメージ大きかったですけど、

その後が楽だった。

でも大きいヤツを一気にと思わないで、

小さいヤツを壊して、あれ?自分変わってない、大丈夫だ!

みたいなのを繰り返していけば、

いつかラスボス的どでかいヤツも、えい!って壊せる時が来るのではないかと。

 

 

いずれにしても、

「これがなくなったら自分じゃなくなる」という思い込みを

「やってみたら自分は自分のままだった」という経験で無くしていく、

そして、

「何があっても、何がなくても、自分は自分」と自己受容できるようになる、

なーんだ、自分は自分じゃん!私サイコー!

って、自己肯定感が高まる。

 

みたいな感じでしょうかね。

長っっ!!ww

 

しかもまだ1つ目。

どうやって、自己肯定感高めていったか、

もっと具体的に何をしたかというと、

②アウトプット

の話をしようと思いましたが、

また次回にします!

でもけっこう今日の記事だけでも学べたんじゃないかと思います。

自己効力感 高っ!

 

そして、②アウトプットの記事の内容が薄くなりそうな予感…w