完璧主義を脱したと思っていたら・・・
こんにちは。kazです。
今日は精神科通院の日でした。
現在、うつ病で仕事ができないため療養しているということになっています。
確かに、仕事を休み始めたころは、そんな状態でしたが、
今は、逆に仕事しないでこんなに好きなことしていていいのか?
と思ってしまうくらい回復しています。
そろそろ卒業ですかね。やめ時っていつなんだろう?
主治医の先生の診断の後、任意でカウンセリングを受けられます。
私はこの時間が大好きです。
大好きというのは語弊があるかもしれませんが、
自分を見つめ、他者評価を受けられる貴重な時間です。
鬱々としていた頃には、本当に救われました。
自分でもわからなくなっていた心の中を整理してもらいました。
でも、今でも行くと毎回涙を流しています。笑
自分の心を見つめるのって、エネルギーがいるってことなんですかね。
今日の学び。
自分自身には完璧を求めなくなった。
でも、家族に対しては完璧を求めてしまっている・・・
がびーーーん。古
昨日書いた記事、管理職に100点求めるなと言いながら、
自分がやってしまっていた、しかも大切な家族に。
自分自身について
何でもかんでも、仕事でも家事でも育児でも100点を求めていた。
特に、人からの評価が100点になるように頑張っていた。
それが、80点でも、50点でも、どんな自分も受け入れられるようになった。
だから、仕事も自分の思う100点は目指さない。
相手の求めることには100%応えられるようにがんばるけれど、
それ以上は求めない。無理はしない。
なんかちょっと変だな、違うなと思っても、
仕事の本質とは違うということについてはエネルギーを使わないようになった。
家事も、絶対に手作りご飯を作りたかったけれど、たまには冷凍食品でもいいや、
子どもが喜び、私が休めるなら、それでよし!と思える。
もちろん、手作りしたいけど、無理はしない。
対人関係が一番楽になったなと思うところ。
できていない自分でもさらけ出せる、
どう思われても、それは相手が決めることだから、自分が関与できることではない。
そう思えるようになって、
思ったことはどんどん言えるし、聞きたいことはじゃんじゃん聞けるし、
それによって、自分の可能性がどんどん開けてきて、
ますます自信が持てるようになり、自信過剰か!というくらい…
途端に人生スムーズに進むようになりました!
結局、自分を大事にしない人生だったんだなーと気づきました。
そう、100点を目指すと、自分を傷つけることになるということ。
子どもには100点なんか目指させちゃいけない!
ありのままでいいんだよって伝えたい!
こんな感じで自分を愛することができるようになったんですね。
そして、家族に対して
できない自分、ありのままの自分を受け入れられるようになったのですが、
家族には、完璧ほどではないけれど、「できる」ことを求めているようです。
「できる」ってどういうことかというと、
例えば、夫に料理を頼んだとします。
子どもが食べるのにちょうどよい大きさに野菜がカットされていない、
ちょうどよい柔らかさになっていない、
そういうことに、「なんでこうやったの!?信じられない!」となってしまう。
例えば、〇時にテレビを終わりにするといった我が子が、やめられない。
グダグダ言い訳をして、もっと見たいと主張する我が子に、
「約束したよね?」と詰め寄ってしまう。
同居している家族以外の人が同じことをしたらどうか。
実の母は、「なんで!?」と思ってしまう。
義母は許容できる。
姪たちは許容できる。
親しい友人も許容できる。
ということは、私の思いをよくわかってくれていそうな人に対して、
寛容性がないということになりますね。
家族って、自分が心地よくいられる場所。
だから、自分の心地よさを侵害されると、カチンときてしまう。
もしくは、自分がコントロールできる範囲だから、
私ならこうしたのに、いつも言ってるよね?と思ってしまう。
そういうことなのかな?
ということは、解決策は、
家族に対して、家族以外の人と同じように寛容に接するということですかね。
身近な自分や家族に寛容になるって難しいことなのかもしれません。
完璧主義だった自分を乗り越えられたので、
家族においてもできるのではないかと思います。
何かコツのようなことがあるのかな?
また勉強して情報を出していきます!