元小学校教員のもっと生きやすく・楽しくなるんじゃないかブログ

小学校教員病休→休職→退職。幼い2児の育児中。誰にでもその人固有の良さがある。それを輝かせて、よりよい人生を歩んでいきましょう。

100点じゃないとダメなんですか?

こんばんは。kazです。

 

先日、ある方にお会いして、インスピレーションを受け、

そのことを考えていたら、今日、教員時代の出来事が浮かび教育に関して怒りが・・・

怒りは何のためにもならないので、冷静になって書きます。

 

ある方をA氏とします。

A氏は、7,8年前から脱サラして自分のこれだ!と思う道を進んでこられた方。

真実をちゃんと見ておられる方で、めちゃくちゃ頼りにしております。

宇宙からのメッセージで動いているそう。

昔の私は宇宙とか言われても、なんのこっちゃという感じだったのですが、

最近は、宇宙とつながっている感じが、なんとわかってきたのです・・・

 

そんなA氏との話、

私が育児でも仕事でもまだ完璧を目指してしまう癖が残っているという話をしていたとき、

コンサルタント時代の上司に、

「仕事は80点で持ってこい、それ以上を目指すと効率が悪くなる。」

と言われていたということを教えてくれました。

ビジネスの世界ではスピード感が大事、コストが大事ということ。

 

私にはコストという概念はなく、時間や労力をかけてできるだけ良いものを作るという人でした。

どれだけやったかできたか、で売り上げが変わるということもないので、

公務員は特にコスト意識が低いのではないかと思います。

 

ビジネスの視点があったら、仕事の仕方が変わっていただろうな~と思いました。

 

そんな話を聞いて、ふと思い出したことがあります。

教員時代、レポートや指導案を提出した際、まず教頭にチェックしてもらう。

赤を入れられたところを修正して、校長のチェックを受ける。

また赤の箇所を修正して、さらに教育委員会のチェックを受ける。

また赤で直されて、修正。

根本的な間違いならともかく、ちょっとした誤字脱字、1マス下げるとか、

「」より『』の方がいいとか、、、

 

これは当たり前の文化としてあったけれど、おかしくない??

そのレポートや指導案って誰のために作ってるんだ?

校長や教育委員会の価値観に合わせるために時間割いてたの?

レポートや指導案は最終的には「子どもたちのため」になるはず。

そのチェックは果たして「子どもたちのため」なのか?

 

もう一つついでに思い出したので、書かせてください!

そのレポートやらを書いて提出したときの上司の態度を思い出してしまった。

「その仕事はやって当たり前」と思っている!

労いの一言もない!

 

もちろんそうではない上司もいました。

その人の下でだったら、力を尽くしたいと思ったものです。

でも、自分の立場に躍起になってばかり、

または、もう子どもたちに向き合うのは終了したとでも思っているのか、

という管理職がいたのも事実です。

これじゃあ学校教育、よくなりませんよ。

 

言いたいのは、

学校は教員に100点でなくてはならないという刷り込みをしているということ。

それを助長しているのは、社会が教員に100点を求めているということもありますね。

もちろん、大切な子どもを預かっている、教育に間違いがあってはならないということもわかります。

少なくとも私は、100点を目指して日々仕事をしていました。

それが良しとされる組織であることは間違いありません。

それに苦しんでいた教員の一人です。

誰のための100点だったんだろう?

 

それは、子どもたちにも100点を求めることにつながります。

100点でなければいけないですか?

(なんか、2位じゃダメなんですか?みたいですね。笑)

 

 

 

100点じゃなくてもいい、ありのままの自分でいい

私はこの考えを持つことで救われました。

 

だれかが決めた100点を目指すなんて、疲れてしまいます。

生まれてきたことでもう自分100点!ですよね。

 

そんなふうに子どもたちが自分をとらえられるようになってほしい。

そして、先生や親たちもそんなふうに自分を愛してあげてほしい。

そうしたら、子育ても教育も温かくなりそうです。

子どもたちが幸せになるためには、どうしたらいいのか、これが大事ですよね。

 

怒りで始まった文章も、温かさで締めくくれてよかった。