元小学校教員のもっと生きやすく・楽しくなるんじゃないかブログ

小学校教員病休→休職→退職。幼い2児の育児中。誰にでもその人固有の良さがある。それを輝かせて、よりよい人生を歩んでいきましょう。

大人の都合で育ててしまった弊害

こんにちは。kazです。

 

教員の休職をきっかけに、自分を再発見して、

満たされた感覚が持てるようになりました。

その経験を生かして同じように困っている人を助けられるんじゃないか、

と思って前進してきたのですが、

その時々で押しつけがましくなったり、

やっぱり方向が違うんじゃないかと彷徨ったり、

今は少し立ち止まっているところです。

でも焦る必要はない、焦るものではないと思うようになり、

敢えて自分や周りを眺める時間をとっているところです。

 

娘の言動がやっぱり気になります。

かつて自分が苦しかったように、苦しんでいると感じるからです。

まだ若干4歳ですが・・・

 

話もよくわかり、待つとか我慢するとか譲るとかができます。

もちろん、彼女の無理のない範囲で、彼女の思いを大切にしながら、

必要な時にそうしてもらっています。

そうでないと、生活が回りませんから。

私自身がそうやってできるようになったのはつい最近ですけど。

以前は、彼女の思いを大切にしたいけど、家事もしなきゃいけないという感覚でした。

つまり

娘の思い < 家事

という構図でしょうか。

 

今は、最近は、

娘の思い > 家事

 

当たり前ですけど、できていなかったです。

だって、ご飯作らなきゃ、洗濯しなきゃ、片付けなきゃ、ですもんね。

でもこうやって、不等号記号をつけると、娘より家事をとっていたのかー、

と明確になってしまって、罪悪感が強まります。

 

とまあ、そんな育児をしていました。

もちろん家事もするけれど、娘の思いを大切にしながら進めるようになりました。

娘としては我慢しなきゃいけない時間もあるけれど、

ちゃんと受け止めてもらっているということに満たされるのでしょうか。

お互いに気持ちよく過ごせています。

ぐずったとしても、娘の思いを大切にしているので、

その気持ちを受け止め、私にできる最善を尽くします。

娘も満たされる、私も娘を大事にという思いを貫けるので満たされる。

 

例えば、

キッチンに設けているゲート、もう二人とも開閉できるので、あまり意味がないのですが、

「今日は時間があまりないから、お母さんだけでお料理するね、ここに入らないでね」

と伝えました。

いつもなら、たれを入れるとか、味噌をとくとか、

簡単な作業ならやりたいと言えばやらせてあげています。

そうすると下がくっついてきて大変時間がかかります。汗

でも今回はそれはしない、と伝えました。

初めは普通に、わかったー。という返事。

でもやってるのを見ていてやりたくなって、それやりたい!モードに。

でも今日は約束だから。

 ↑ これって結構大事で、ここで無理して、「じゃあ1回だけ」とすると、

1回じゃ済まないし、下の子も来ちゃうし、結果イライラ、娘も不機嫌・・・

そんなループがわかっているので、自分に無理をしないって大事です。

無理がないなら、もちろんいいと思う。

もともとゆとりのない私には、無理!笑

 

話を戻して、

今日は入らない約束だよ、と言ったら、娘はポロポロと涙を流しました。

たぶん、自分を否定された、拒否されたと思ったのでしょう。

でも、私はお互いのことを思ってやっているので、心は乱れず、

悲しい気持ちになったんだね、と受け止め、抱きしめる。

ここは時間をかけて話を聞く。

ちゃんと向き合う。

結局時間はかかりますね。

でもこの子にとってここは大事だと思えたなら、時間なんてかかってもいいです。

私がどういう思いで入らないでと言っているのか、

嘘はないから、全部正直に話します。

ちゃんと説明すればわかってくれます。

娘が求めているのは、

調味料を入れたい、ではなく、自分の気持ちを受け止めてほしい、

なのだと私もわかっているので、求めていることに応えてあげます。

時間はかかったけれど、満足して食卓につくことができました。

 

娘は、突然怒ったり、物を投げたりします。

暑いから寝られない!と怒って、枕から布団からシーツから投げ落として、壁をける。

この靴下じゃ気に入らない!と急に怒り出し泣きわめき、無理難題を言ってくる。

イヤイヤ期はもう過ぎているはずなのに、

何でそんなことで怒るの?と不思議だしイライラするし、

どうにもできないと思っていたけれど、

今は何となくわかったような気がしています。

 

暑さとか靴下とかはきっかけであって、原因じゃない。

『なんかモヤモヤするけど、何にモヤモヤしているのか自分の思いがわからない』

状態なんだと思います。

何となく満たされていない感じ。以前の私と全く同じです。

なぜ私も娘もそういう状態なのかと言うと、

イヤイヤ期とか、自分の思いをわかって!という時期に、

親にわかってもらえなかったから。

ただそれだけです。

自分が訴えたいことがあるのに、その思いを受け止めてもらえないから、

自分の思いを封印するしかないんです。

そんなふうに思ってしまう自分が悪いと思うんです。

でもいつも自分が悪いと思うと辛いから、人のせい・何かのせいにするんです。

たぶんそういう心の仕組みができあがったのだと思います。

 

でも大丈夫、それに気づいてからやり直せば。

だって、30年以上苦しんで私は解放されたという実績があるから。

娘は新しい心の仕組みを作ります。

 

でもやっぱり一番いいのは、

子どもの思いをいつも受け止め、いつも向き合うということ。

余計な苦しみを味わわなくても済みますから。

 

やりたいことがわからない、見つからないと言う若者が多いと聞きますが、

こういうことが要因になっているのかな?なんて思ったり思わなかったり。

どうなのでしょう。

タイトルに、大人の都合で育ててしまった、と書きましたが、

学校も然り、なのかなーと。

子どもは大人の都合に合わせるしか術がないですからね。

そういうことを大人が自覚しているかどうか、

それがどんな弊害を生むかを考えているかどうか、

そこって結構大事だと思うんですけどね。