元小学校教員のもっと生きやすく・楽しくなるんじゃないかブログ

小学校教員病休→休職→退職。幼い2児の育児中。誰にでもその人固有の良さがある。それを輝かせて、よりよい人生を歩んでいきましょう。

自分のことしか考えていない人たちは、幸せになりたいだけ?

小学校の教員を休職しています。

二人の幼い子を育児中です。

 

最近、夫と「幸せ」について語らいました。

これまでは視野が狭く、幸せの定義も狭いものでした。

今は、自分の幸せと同時に、子どもたちが幸せであってほしいと願っています。

さらに、世界中のみんなが幸せであってほしいとまで考えるようになりました。

きれいごとでなく、本気で思っています。

 

車の運転をすると本性が出ると言いますよね。

みんなが譲り合って気持ちよく運転できればいいのですが、

「え!?ここ譲るところでしょう?」「危ない!普通行かないでしょ」

みたいなことありますよね。

まあ、私の普通がみんなの普通ではないのでしょうが・・・

でも、”自分のことしか考えていない” 行動が多い。

 

悪質行為の炎上動画とか、子どもへの虐待とか、不正建築とか、事件になるようなこともそうです。

なぜそんなことをするのか理解できない!と思っていました。

 

でもわかりました。

みんな自分が幸せになりたいからなんだ!

そう考えると、世の中の悪質と思われることもすべて納得できました。

自分が幸せになるために、良いと判断してやっているんだな、と。

 

車で譲らない→一台でも自分の車が前にいることが幸せ

炎上動画→友達が笑ってくれることが幸せ、すごいと言われて幸せ

虐待→弱いものをいじめて自分の強さを実感できて幸せ

不正建築→安く済んで利益が上がって幸せ、上司に認められ幸せ

 

想像でしかないのですが、

幸せになることが目的であるならば、行動の動機として理解できます。

でも、こんな幸せのためにエネルギーを使うのはどうなのか。

自分や人を傷つけてまで得たい幸せなのか。

 

問題は何か。

まだ整理できていませんが、やっぱり教育ですよね。

親から、先生から、社会から、

幸せの定義を間違って教わってしまったのではないでしょうか。

お金が大事、勉強が大事、学歴が大事、人に迷惑をかけないことが大事、、、

 

違います、一番大事なのは「自分」です。

最初に言ったことと矛盾しているようですが・・・

ありのままの自分を受け入れてもらえたかどうか、その経験です。

知識や技術ではなく、何にもないまっさらな自分が、ここにいていいんだという実感

自分を受け入れてもらえた人は、他者を受け入れることができる。

他者の幸せを願うことができるのだと思います。

 

私は人の幸せを心から願えない人でした。

人が幸せになるとどうしても妬みの気持ちが生まれてしまう。

ありがたいことに、私は仕事や育児に悩み、いろいろな出会いがあり、人の幸せを願えるように変わってきました。

まだ完全ではありませんが。

いろいろな縛りから解放されて、自分が満たされつつあるのだと思います。

 

ここからが大事です。

子どもたち、そして満たされていない人たちをどう満たしてあげるのか。

そのために私にできることは何か、考えていかなくてはなりません。

また整理して伝えられるときになったら投稿します。